ここで腰掛けさしてもらいます。
同い年になられる…
。ええ。
こういう供養塔名簿っていうのが
あるんです。
はぁ
はぁ…。
名前
原爆で亡くなった方の…。
そうですよね…
。
ここに
矢野宅雄っていう名前があるんです。
<名簿の矢野宅雄さんと→
この家の琢夫さんでは→
名前の漢字が違っていた>
<さらに 琢夫さんの遺骨は→
被爆直後
父親が持ち帰り墓に納めたという>
<しかし…>
いや それは もう…。
分からんが
親として やっぱり気持ちをね。
どなたの骨か分からんですが→
持って帰って埋葬したんじゃないですか?
今でも
まだ特定はされてないということですか? この方は。
(
記者) これは まだ引き取られてないので…。
もちろん
それは→
当然のように
こちらの墓にね→
入れさせていただくのが→
当たり前だと思うんですけれども。
生きてるうちに
聞いておけばよかったかなとは→
今更
思いますけれども。
<爆心地から南へ
およそ10kmにある似島>
<焼け野原となった市内から→
負傷した人々が次々と似島に運ばれた>
<その多くが亡くなった>
<当時の様子を詳しく知る人がいる>
<青森へ向かった>
<似島で救護活動や遺体の処理をしていた→
義之栄光さん>
<次々と人が亡くなり→
遺体を
まとめて焼くしかなかったという>
<その遺骨を
大切に持ち帰った人たち>
どうでしょう…
。
それじゃ
いけませんか?
まぁ
いいはずがないんだけども…。
いや…
。
誠に
もう…追い詰められた事情の中で→
そうやって
ぽんぽこ ぽんぽこ→
進めて行くしかなかったですよね
。
<矢野琢夫さんが被爆したのは→
爆心地から700mの場所>
<琢夫さんは
本当に似島に運ばれたのか>
<供養塔に
眠っているのではないのか>
<この墓に眠る矢野琢夫さんは→
供養塔の矢野宅雄さんではないのか?>
<家族は市役所へ>
自分自身の気持ちが少し吐き出せるかなと。
今まで
何か こう…その話が出るたびに→
あ~
どうなんだろうっていう思いがあったんですけれども。
(
間所さん) こんにちは。
調査課長の間所といいます
今日は ご苦労さまです。
(
裕子さん) お世話になります。
どうぞ
こちらのほうに。(裕子さん) はい。
(
間所さん) これが節次さんからのご回答なんです。
で
その時に「すでに引き取り 埋葬ずみ」。
この
はがきで返って来たものですから→
なので
では 今の私どもの…。
<40年前>
<琢夫さんの父 節次さんが広島市に送った はがき>
<