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2018/08/12(日) 21:00〜21:50 NHKスペシャル「“駅の子”の闘い〜語り始めた戦争孤児〜」[字]


どうにもならないけど…。
親を亡くし 世間から蔑まれ
親友まで失ってしまう。
小倉さんのやり場のない怒りは
社会に向けられていきました。
終戦後 路上生活をした

子どもたちの中には→
生涯 犯罪から
抜け出せなかった人もいました。
強盗殺人などの罪で
死刑判決を受け→
5年前 刑が執行されました。
幼少期に親を亡くし身を寄せた親戚宅が 空襲で焼失。
路上生活を送るようになりました。
この人物を 拘置所で10回にわたり取材した→
作家の菅野国春さんです。
孤独の中で転落を重ねた人生でした。
昭和22年11月。
カメちゃんが自殺した直後に→
孤児を巡る状況が
大きく前進します。
児童福祉法の成立です。
この法律で子どもの人数に応じた運営費が→
児童養護施設に
配布される仕組みが整備され→
次第に 状況が
改善されていきました。
当時 子どもたちを→
熱心に保護していた施設があります。
民間の児童養護施設


愛児の家です。
駅で暮らす孤児の惨状に
胸を痛めた→
石綿さたよさんが設立し→
多い時で 100人近い子どもが暮らしていました。
こうした施設が増える事で→
子どもたちの保護が進んでいきました。
はい 子どもの。
長期の路上生活は 子どもの体をむしばんでいました。
この
「疥癬」っていうのありますね。
これはすごいですよ。
体中 皮膚病で→
もう かゆくて かゆくて
どうしようもないという。
13歳の女の子の記録には→
「バイ毒第三期」と書かれています。
路上生活の中で
性病を患っていました。
「これも 冷酷な社会の罪」。
当時の職員が社会の冷たさを嘆いていました。
カメちゃんを亡くし→
自暴自棄になっていた小倉さんです。
悲しみを忘れようと 上野を離れ
全国を転々とする日々。
この間に 両方の目が
ほとんど見えなくなりました。
何かね だ~って
水が流れててな…。
そんな小倉さんに

大きな転機が訪れます。
上野を離れて1年がたった
昭和23年11月。
京都駅で保護され
孤児の一時保護施設→
伏見寮に送られたのです。
小倉さんは ここでも→
職員に 反抗的な態度を
取り続けていました。
その様子を見かねた人がいました。
寮の指導員の黒羽順教さんです。
小倉さんを
ある場所へと連れ出しました。
こことちゃう?
銭湯です。
当時と同じ場所に残っていました。
黒羽さんは 疥癬にかかった小倉さんの背中を→
流してくれました。
黒羽先生は その後も 度々→
小倉さんに
声をかけてくれました。
小倉さんは
先生のアドバイスを受けて→
盲学校に進学し
マッサージ師となりました。
その後 結婚して
家庭を持った小倉さん。
黒羽先生は
誰よりも喜んでくれました。
小倉さんの人生を変えた

ぬくもりでした。
小倉さんが暮らした伏見寮。
そこで 子どもたちが歌っていた歌があります。
♪♪~
親を亡くした孤児たちの気持ちが歌われています。
♪♪~
♪♪「ワッと泣きたい時がある」
♪♪~
終戦から5年朝鮮戦争が始まると→
日本国内は特需に沸き

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