研究を大きく前進させるでしょう。→
ここはパルパの
ピエドラス・ゴルダス地区です。→
この場所で最近 新たに
地上絵が発見されました。→
まだ一般公開はされていません。
海から数キロメートル内陸の丘の斜面に描かれた堂々たるシャチ。
神として あがめられたものの一つです。
ナスカより前の時代多くの共同体が沿岸部に暮らし→
海産物を糧としていました。
魚や貝を取る人たちは 海で度々シャチに出くわしたことでしょう。
人々は シャチのパワーと
どう猛さに圧倒され→
神として あがめるようになりました。
ナスカやパルパのさらに北 チンチャでも→
考古学者たちは砂漠に描かれた
直線を発見しています。
ナスカの地上絵に よく似た線ですが
実際には もっと古いものです。
チンチャの地上絵が
ナスカより前に存在した→
「パラカス」の文化に属することは
明白です。
ナスカの地上絵に代表される
「砂漠に線を引く」というアイデアは→
パラカス時代に生まれたんです。
それは最初の地上絵が ナスカ時代よりずっと古い 今から2,400年以上前に→
パラカス時代の人々によって
作られたことを意味します。
最初の地上絵の描き手
パラカスの人々については→
フランスとペルーの考古学者による
合同の調査が行われています。
ここで止めて。
GPSなしに直線の地上絵を見つけるのは困難です。
さてと。 確か この辺に… あったわ。
地上の線は向こうの山まで続き→
山の向こうには かつての集落へと続く
道がありました。→
つまり向こうから こちらまで
ずっと続いているんです。
反対側に進むと
パルパの集落がありました。→
つまり この線は2つのエリアを
つなぐものだったんです。→
キャラバンのための道路であり
道案内だったんでしょう。→
砂漠で迷わないための目印ですね。
地上の線が 異なる集落を結ぶ道だった一方で→
丘の斜面に描かれた絵には
違う役目があったと考えられます。
交流を促す
巨大な広告だったのかもしれません。
さまざまな共同体が砂漠の真ん中にある
中立地帯で一堂に会したと考えられます。
山に暮らす人々は アルパカの毛や
イモなどの野菜を持ち寄り→
海沿いの人々は 魚などの海産物を
持ち寄ったのでしょう。
巨大な広告 道路といった説明は→
パラカス時代の地上絵にはうまく当てはまります。
しかし ナスカ時代の地上絵の謎は
見かけより はるかに複雑です。
南部では巨大な四角形や幾何学図形も
見つかっているからです。
研究者たちは
地上絵の謎を解明するには→
そこに暮らした人々と文化について
理解する必要があると考えています。
考古学者のジュゼッペ・オレフィチは
長年にわたって→
ナスカのカワチ遺跡で
発掘調査を行ってきました。
ナスカのシンボルともいえる
カワチ遺跡では→
砂に覆われた神殿や墓地
壁やピラミッドの跡が見つかっています。
24平方キロメートルにも及ぶ
カワチの中心部は→
紀元前200年ごろから西暦450年ごろまで
使われていたと考えられています。
数トンもの砂を取り除いた結果
すばらしい発見がありました。
ミイラが大きなピラミッドのそばに
埋葬されていたのです。
発見された遺物は 地上絵を描いた人々の
姿や その暮らしぶり→
信仰や儀式を知るヒントとなります。
これをそこへ。
それでいい。 よし。
発掘された遺骨は人類学の研究室で詳しく分析されます。
人類学者たちは早速
ミイラの骨格の特徴を調べ始めました。
(ドース)この部分を見て。→
恐らく この人は背中の下の方腰椎に問題を抱えていたんでしょう。
(アグレスティ)興味深いですね。
すねの骨も もろくなっていますね。→
骨の端に治癒した痕がありますが
相当 痛い思いをしたはずです。
(ドース)