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2018/11/23(金) 18:15〜19:00 キャスト[字] 1970年の大阪万博が変えたモノ▽カイヤ&麻世の“離婚”への新事実

番組の一部に字幕のついていない部分があります。ご了承ください
万博は大阪に来るのか。
ついに今夜決まります。
大阪がロシア、アゼルバイジャン

誘致を争う2025年の万博は日本時
間の今夜、
パリで開かれるBIE・博覧会国

事務局の総会で、150を超えるとみ
られる国の投票で開催地が決まり
ます。
松井知事らは投票権を持つ国に
支持を求めるため19日にパリに入

決戦に備えてきました。
大阪は1度目の投票を1位通過したうえで、
決選投票で大阪での万博開催を
勝ち取りたい考えです。
一方、大阪・夢洲では、午後6時過
ぎ、
誘致決定の願いを込め、花火が
打ち上げられました。
55年ぶりとなる大阪万博開催への
期待が高まっています。
万博開催が決まれば大阪では2回目

なりますが、きょうの特集は、
1回目の大阪万博です。
1970年、万博は多くの人の人生、


そして、
町並みを変えました。
「こんにちはー、こんにちはー」
1970年。
高度経済成長の真っ只中に開かれた大阪万博は、日本中を熱狂させ、
半年間でおよそ6421万人もの人々
が訪れました。
中でも目を引いたのが、この「太
陽の塔」。
芸術家、岡本太郎の作品でテーマ
館の一部として、中には「生命の
樹」などが展示されていました。
当時、この塔の中でガイドとして働いていた男性がいます。
「こんにちは」「よろしくお願い
します」
井上哲彦さん。
映像制作会社で働いていた井上さんは、世界の最新の
映像技術について学ぶため万博会
場で働きたいと、スタッフに応募
しました。
大勢の人が押しかける塔内で、事故が起きないよう、
誘導や、展示の説明などのガイド
をしていた井上さん。
お昼ごはんのお弁当箱や、制服に
ついていたエンブレム、給与明細
まで、今でも一つ一つ大切に保管
しています。
数々の思い出話を伺いながら、案
内していただきました。
井上さんの記憶の中にしかない、


とっておきの、エピソードとは。
万博の終わりが近づいたある日、
来場者が多すぎて、
帰りの電車に乗れず、会場内に寝
泊りする人が続出する事態に。
会場にいる人たちが、夜中にテー
マ館に入らないよう、井上さんは
警備をしながら塔の中で一夜を過
ごしたといいます。
耐震工事を施し、今年、48年ぶり
に一般公開された、
塔の内部。
復元された生き物たちの中に、一頭だけ当時の姿を残したままの動
物が。
中の機械が見える頭に、はがれかかった足。
時の流れを感じさせます。
しかし。
万博は、ある青年の人生も大きく
変えました。
今、万博関連のイベントにひっぱ
りだこの、白井達郎さん。
白井さんのすごさはなんと言って
も、そのコレクションの数!
「もう数えられないですね。1万は
軽く越し
万博直後から少しずつ集めた資料
やグッズを並べ、自宅の一角を「
万博ミュージアム」にしてしまう
ほど。
グッズの劣化や傷みなどを理由に、

およそ15年続けた
ミュージアムは去年閉館してしま
いましたが、今でも多くの人が見
られるよう、イベントへの貸し出
しを続けています。
万博は人だけでなく、大阪の街も、
大きく変化させました。
1937年に開通した御堂筋。
渋滞緩和などを目的として万博が開幕するおよそ2ヵ
月前に、双方向通行から、一方通

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