多い時の3割ほどに減っていました。
そうした中 臨んだのが
最後の挑戦となった→
8度目のエベレストでした。
5月19日 栗城さんは山頂へのアタックに向かいました。
了解しました。
じゃあ。行ってらっしゃい。
この遠征前 栗城さんは
復帰を支えた花谷さんから→
あるアドバイスを受けていました。
ノーマルルートとは エベレストで比較的登りやすいとされるルートのこと。
しかし 栗城さんは
南西壁を目指そうとしていました。
これまで
チームでしか成功したことのない→
エベレストでも屈指の難ルートです。
花谷さんは急ぎ メッセージを送りましたが→
栗城さんからの返信は ありませんでした。
なぜ 彼は 周囲の反対を押し切ってまで最難関のルートを選んだのか。
本人に確かめるすべは もうない。
考えられるとすれば 一つは映像だ。
ノーマルルートには この時期
登山隊が殺到し 長蛇の列が出来る。
映像に強いこだわりを持っていた栗城。
ここでは インパクトのある映像が撮影できないと考えたのかもしれない。
それ以上に大きかったのは
SNSに広がっていた→
無関心だったのではないか。
自らの存在意義を ネットやSNSでの共感に求めていた栗城にとって→
人が離れていくことが
何より怖かったはずだ。
栗城は今回 カメラマンの魚住には→
こんな言葉を漏らしていたという。
最後と決めていたからこそ→
無謀とも見える挑戦に突き進んだのではなかったか…。
5月20日 夕方。
栗城さんは標高7,300m付近に テントを設営。
無線で 挑戦に向けた思いを伝えました。
しかし その数時間後栗城さんに異変が起きていました。
午後8時40分 栗城さんは登頂を断念。
下山を決断します。
気を付けてね。
午後11時 撮影隊の一人が状況を確かめに向かいました。
この時
下山中の栗城さんから届いた無線が→
最後の言葉となりました。
翌朝。
栗城さんの遺体は 標高6,600m付近の
崖の下で見つかりました。
滑落して亡くなったと見られています。
肌身離さず持っていたカメラは見つかりませんでした。
栗城さんの批判を続けていた
掲示板では…。
東京で開かれた追悼ギャラリー。
2日間で 2,000人が訪れました。
栗城さんをよく知る人たちが その素顔を
それぞれの言葉で記しました。
「こんな形で
お別れをしなければならない事実が→
本当に悔しい。→
君のこだわりは何だったんだ。→
死んでしまっては意味がないだろ」。
「登山家っていう重圧から外れた彼が今後どうなっていくのか。→
そこが見たい部分だったのに
死ぬんじゃねえよって」。
栗城さんが 生前 暮らしていた
事務所の小部屋。
新たな企画書が残されていました。
夢をかなえたい若者とそれを応援する人を結び付ける→
アプリの開発。
次の目標に たどりつくことはありませんでした。
栗城が眠るふるさと 北海道今金町。
時折 年老いた父親が墓を訪れ彼を偲んでいる。
冒険の共有という夢を追いながら→
ネットやSNSに 時に背中を押され→
時に翻弄された栗城史多。
「山を見るのではなく 自分を見て登れ」。
彼が最後に果たせなかった あの言葉。
私たちは 自分自身を見失うことなく→
これからの時代を生きていくことが
できるのだろうか。
♪♪~
2019/01/14(月) 21:00〜21:50
NHK総合1・大阪
NHKスペシャル「“冒険の共有” 栗城史多の見果てぬ夢」[字]