前代未聞のPR戦略をとることにした。
新幹線の起点となる大阪で
くまモンを出没させ SNSで浸透を図る。
大阪で現場を任された 磯田さん。
不安しかなかった。
それでも くまモンを SNSで発信し続けた。
徐々に 口コミが広がり始めた。
でも ツイッターのフォロワーは
数千程度。
ブームには 程遠い。
地元では 批判の声が上がった。
「くまモンで 大丈夫か」。
全線開業が迫る中 不安ばかりが募った。
でもチームには ある思いがあった。
思い切った手に 打って出た。
くまモンが失踪したという
知事による ウソの緊急会見。
炎上覚悟の 大バクチ。
でもその姿勢が 支持を集めた。
お願いします!
分かりました。なんや!
大阪名物 新喜劇。
くまモン くつろぎすぎ!
そしてプロレス。 皿を割ることを恐れず
くまモンは挑み続けた。
おふざけに寛容な大阪だからこそ
くまモンは受け入れられ→
そして 磨かれていった。
2011年 九州新幹線 全線開業。
くまモンは 関西での活動開始から
僅か7か月で→
6億4,000万円に換算される
広告効果を実現。
それは 予算の8倍に相当する額だった。
でも 誕生から6年。
順風満帆な歩みは急転する。
2016年 熊本地震。
最大震度7の揺れが
熊本を立て続けに襲った。
多くの建物が倒壊。
大勢の人が避難所での生活を余儀なくされた。
くまモンは 全ての活動を自粛した。
でも 地震発生から数日後。思いも寄らないことが起きた。
くまモンを心配する手紙が
届き始めたのだ。
でも被災地では なおも余震が続いていた。
(地震アラーム)「地震です」。
う~!
避難所で追い詰められている人たちにどう迎えられるか。
傷ついた心を 更に傷つけはしまいか。
不安でいっぱいだった。
地震発生から3週間。
訪ねたのは 避難所となっていた保育園。
(歓声)
(歓声)
♪♪~
そこには くまモンを待っていてくれる人たちが いた。
♪♪~
くまモンは 自らの役割に気付いた。
あの日から3年。
くまモンは被災地での活動を続けている。
♪♪~(演奏)
この日は 今も仮設住宅が残る益城町での復興コンサート。
(拍手と歓声)
♪♪~(「三百六十五歩のマーチ」)
♪♪~
(拍手)
いつだって そばにいる。
それが くまモン。
♪♪~
♪♪~
行くさきざきで歓声を巻き起こす…
だが彼には 悩ましい問題があった。
立ち上げを支えたメンバーは
それぞれ出世を果たし→
チームを次々と卒業。
異動は 公務員の常とはいえ 今後の活動を支える人材の育成が 急務となっていた。
おお~。
その鍵を握ると目される新人がいた。
結婚を機に 妻の実家がある熊本に移住。
チームの一員となって半年。
まだ どこか おぼつかない。
そんな沼尻を くまモンは呼び寄せた。
沼尻は 初めての大仕事を抱えていた。
それは 大手ポイントカードとのコラボ。
6,700万人いると言われる
全国の利用者に→
熊本をアピールする絶好の機会だ。
このコラボを成功に導くため→
沼尻は あるイベントを
企画していた。
東京・渋谷のレンタルビデオ店で
カードの発行イベントを開く。
だが カード会社との打ち合わせで
「甘さ」を痛感させられることになった。
沼尻は これまで金融機関など→
堅実さを一番に求められる職場で働いてきたという。
はい お願いしま~す。
それだけに 突き抜けた仕事をするための「粘り」が不足していると→
自らも感じていた。