そう。防波堤は第三台場を越えて 更に先まで。
全長は なんと3.5kmもあります。
昭和初期東京には国際的な港が必要でした。
そのため 大型船が入港できるよう
巨大な防波堤の他→
大規模な港の整備を進めたんです。
ところが それが大問題を引き起こします。
なんと 東京の財政が
大赤字になってしまったんです。
東京サポーター。
何だろう。
(志村)はい。 これなんですが→
林田さん ちょっと読んで頂けますか?
日本萬國大博覽會會場配置圖。
(志村)そうです。 万博の計画がこの豊洲を中心として あったわけです。
これ困ったから やったんですか? これ。
困ったんで。え~。
なんか 逆に お金かかりそうですけど。
かかるよね これね。
それで お金を出すわけですよ。 それで…
(志村)で さっき 我々…。これが正門だった…。
(志村)正門。 我々 この水陸両用バスに
乗った辺りが ちょうど この辺りで→
豊洲の あの交差点の所が
会場の正門。ああ。
これ 飛行場まで つくろうとしてた。
あっ。
借金を解消するために呼び込んだ
強力な東京サポーター→
それが万博でした。
しかし 昭和13年万博は延期を余儀なくされます。
理由は…
東京も 大きな戦争の流れに飲み込まれていったんです。
さて 東京湾に出たバスも折り返し。
スタート地点目指して 戻っていきます。
(タモリ 林田)へえ~。
(志村)もう あそこまで できてます。
確かに アリーナみたいになってます。
やる気が すごいですね。(志村)すごいです すごいです。
(笑い声)
さあ 再び上陸。
ここからは 豊洲のハンマーの柄の部分が
誕生した秘密に迫ります。
アメリカ軍がつくった
戦争直後の東京の地図です。
黄色い部分が 建物が密集しているエリア。
灰色の部分は 空襲で焼けた場所です。
(志村)そうですね。 空襲で。→
それで この豊洲の先の所ですけども…
アメリカ軍が?
はい そうなんです。
あっ。
はい。 あれ?
(志村)赤い印が出てきました。
この赤い印 一体何でしょうか?
あっ そのとおりです。
こちらの赤い部分は戦後アメリカ軍に取り上げられた場所。
沿岸部分だけを表示しています。
船着き場はほとんどがアメリカ軍のものに。
これでは復興のための物資を船で
運んできても 陸揚げすることができず→
東京の戦後復興は
行き詰まってしまいます。
そんな中 豊洲には埠頭がなく
船が着岸できなかったため→
そのほとんどが接収を免れたんです。
実は それこそが…
なんとか この辺をやれば
着岸できるんじゃないですか。
改良すれば。
(志村)はい。まさしくですね そういうことで…
埠頭をつくるの大変ですよ。
(志村)で この豊洲の新しい所が…。え~。
(志村)つまり…
豊洲のハンマーの柄の部分 それは→
船が着岸できる埠頭として
埋め立てられたんです。
新しくつくられた埠頭では
東京湾の物流を一手に引き受けました。
ここに戦後復興のための資材を抱えた船が
日本中から集まってきたんです。
この埠頭ができたんで 戦後の…。
東京の復興があったということですね。そうです。
ああ。
それを見に行きたいと思います。行きましょう 行きましょう。
こっちですね?
こっちです。
あっ こっちですか。
(笑い声)
全然違うな。
でも この辺ちょっとした こういう公園もあるし。
ね 歩いてても きれいだよね。
いいですよね。
ウオーターフロントっていうんですかね。
(志村)この辺りは東京都が結構 気合い入れて お金かけて つくってますね。
こんにちは。
こんにちは。
いいですね。
(タモリ 林田)ありがとうございます。
ここ いいよ。 ちょっと食べて。