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2019/01/29(火) 23:55〜00:40 ブラタモリ「#121 東京・豊洲」[解][字][再]


(岩成)今ちょっと種明かしをしますので。
おっと きました。
きました。
おお~。
更に豊洲には 鉄道も敷かれました。
ここから…
(岩成)時代が違います。申し訳ございません。
俺 これ覚えてるな。 ここ。

ここですか。 何があったんですか?
ここ 線路… 線が これずっと
走ってたんだけども。
これは まだ
道路の上に線路残ってましたね。
(志村)晴海通り。
晴海通りにね。
(志村)こちらの橋は
まだ残ってるんですね 実際。
この橋は残ってるんだ。 赤さびて。
(志村)はい。
意外と そう。 使われてたんですよね。


(志村)そうですね。
あ~ そうですか。
すいません。
余計なこと言いました。
いいえ いいえ。
余計なこと言いました。
(笑い声)余計なこと言っちゃいました。
こういう貨物列車。
先ほどの この機関車がこちらですね。
後ろに いっぱいついてます。→
「とよす号」という名前をつけてですね当時 発送されておったんです。
え~ そうですか。 はぁ~。
えっ これ もう何十両編成でここからやってたんですか。
そうです。 45両ぐらい
一番長いとつけましてですね→
こっから持っていくわけです。
すごい。 そんなに。
豊洲に集まったものは 東京のみならず
日本全国へと運ばれていきました。
こうして 戦後から高度成長まで→
急速に発展した日本。
新幹線の開通 テレビ放送の開始→
風呂つきの夢のマイホームなど→
生活環境の変化に 全国が沸きました。
そうした人々の喜びの陰に→
豊洲のエネルギー基地の存在が
あったんですね。
すごいね。
そうです。 はい。
(志村)というようにですね…

そうです。 言っていいです。(笑い声)
昭和の東京を支える
エネルギー基地となった豊洲。
しかし 時代の変化と共に
その役目を終えると→
工場は 次々と立ち退きます。
平成に入ると その跡地には再開発の波が押し寄せました。
数々のタワーマンションは
膨れ上がる東京の人口の受け皿。
21世紀の豊洲に誕生した→
新たな東京サポーターとなりました。
すごいね この変わりようはね。
(志村)変わりようが すごいんですけれども…
え~ このマンションが立ち並ぶ
新しい街に→
昭和の痕跡なんてあるのかな?
今んとこ見えませんね。
前方なんですけどもね。
前方。
前方 交差点。
(志村)何か変じゃないですか?
(志村)そうなんです。
なんで坂道があるんでしょう?ちょっと行ってみましょうか。
行ってみましょう。
何だろうな。 ちょっとそこまで上ってみましょう。
上って上って…。
平らなはずの埋め立て地に突如現れた坂道。
実はこの坂道 この街に
古くから住む人のためのものなんです。
ヒントはですね

このコンクリートの壁なんですね。
これ 古そうですね。
実はこちらの壁も 先ほどの坂道と同じ目的でつくられたんです。
壁ができたのは 昭和30年代。
一体これ 何なんでしょう?
何だろう。
まあ一応 区切りですよね これがね。
区切り。 区切りなんです。
区切りですよね。
何のための区切りなのか。
あれ?
(志村)あったんです。
何だ?
実は 防潮堤。
堤防 防潮堤なんです。
なんで こんな曲がって… あっ!
そうなんです。
そう。 この壁の正体は 防潮堤。
豊洲のハンマーの柄の部分はかつての工場地帯。
そして ハンマーの打撃部分は

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