延ばしていけば→
その周りの土地を
新たに開発できます。
濠によって 町を生む
画期的なアイデア。
江戸の発展を見据えた
家康の都市計画でした。
巨大都市 江戸誕生の
第1のカギ→
それは 町の中に張り巡らされた
らせん状の濠だったのです。
では いきますよ。
はい お願いします。
来た来た。
お~。来た来た~。
どうです? 水運で おつまみを
届けるというアイデアは。
ノーコメント。
まあ それは さておき本来 町の守りに使う濠を→
水運の大動脈に転用しようという
アイデアは優れものでしょ?
江戸が大都市になるためには
水運が生命線だったんですね。
鉄道やトラックがない時代
陸路で モノを運ぶとなると→
馬がメインになるけど
1頭の馬が背負えるのは→
せいぜい 100キロ程度ね。
でも 水路なら→
小舟だって 1,000キロ以上は
余裕で運べるわ。
へえ~。
江戸の水運のもっとすごいのは→
スピードだよ。
江戸の湊に届いた商品が数時間で 店先に並ぶんだから。
今の宅配便も顔負けだ。
(笑い声)
ちなみに 家康の時代に→
江戸の人口は15万まで成長したの。
ちょっとずつ パリやロンドンに
近づいてきたんですね。
うん。
これで 江戸の町を→
水の都にするという
そのアイデアを生み出した→
家康のすごさ 分かったでしょう?
まあ でも 本当にすごいのはアイデアを出した人より→
それを実現した人でしょ?
何を?
だって 家康は
実際に つくってないし。
無礼は承知せんぞ。
うわっ また なった。
では 誰が つくったというのだ!
ちょっと 落ち着きましょう。
一体 どこの誰が 江戸の町を!?
誰が江戸の町をつくったか。
その謎に迫るために まず→
江戸を発展させた濠を空から見てみましょう。
らせん状の濠の一部は→
今も 皇居の周りに残っています。
あそこだけ 時代が…
時が止まってる感じがしますね。
濠の全体像を知るために
最新の測量調査を行いました。
レーザーを地上に反射させ→
起伏をくまなく記録していきます。
それを基に 濠の周りの地形を
立体的に再現すると→
意外にも 江戸には→
標高差30メートル近くもの凹凸があった事が→
明らかになりました。
ちなみに 水の都市といえば→
ベネチアや アムステルダムが
有名ですが→
どちらの市街地も
標高5m以内の→
平たんな土地に築かれています。
一方 こちらは 当時の江戸。
急な坂道と 水をたたえた濠が
共存する→
世界にも まれな都市でした。
江戸の濠は大きな標高差を克服して築かれ→
水を 上から下へと巡らせながら→
町全体に 水路のネットワークを作っていたのです。
起伏の激しい土地に
水の都を築く→
空前のプロジェクト。
それを 誰が どうやって実現したのでしょうか?
手がかりを探して やって来たのは
皇居の南東にある 日比谷濠です。
すごいですね。
びくともしないでね…。
確かに。
今も 石垣があって…。
濠の周りを固めるように→
石垣が隙間なく積まれていました。
この石こそが
小さな田舎町だった江戸を→
世界一の大都市に変えた