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2019/03/04(月) 22:25〜23:10 プロフェッショナル 仕事の流儀▽踏み出す勇気、終わりなき革命 杜氏・高橋藤一[解][字]


とろとろに柔らかくなった土。
高橋の発想は業界に浸透し 櫂入れを

やめる酒蔵が全国に広がっている。
まもなく搾りを迎える この日。
高橋が つぶやいた。
ほんのわずか 発酵が足りないと見た。
もう一日 糖をアルコールに変えるため酵母菌に働いてもらうことにした。
翌日。
これを搾れば また一つうまい酒の完成だ。
高橋さんは 1945年
今の秋田県横手市に生まれた。
野山を駆け回るのが大好きな少年。
自然の神秘 メカニズム。
おのずと学んだ。
雪に覆われる冬。
この地の男は 出稼ぎで酒蔵に入った。
18歳になると 高橋さんも秋田や青森の酒蔵で働き始めた。
脳裏に 忘れられない味があった。
幼いころ 祖父が飲ませてくれた自家製のどぶろく。
「祖父のどぶろくのような


ホンモノの酒を造りたい」。
高橋さんのセンスは 群を抜いていた。
弘前にいた31歳。
異例の若さで 杜氏に抜擢された。
でも その胸中に抑えがたい思いがあった。
当時は アルコールや
糖類などを添加して3倍に薄めた→
「三増酒」が当たり前の時代。
純米酒を造りたいと言っても全く聞いてもらえない。
疑問は次々湧いてきた。
例えば 櫂入れにどれだけの意味があるのか。
転機は39歳。
今の酒蔵の前社長 齋藤銑四郎さんから→
杜氏を頼まれた。
その心意気に 報いようと思った。
やりたくてもできなかった
他の酒蔵では やらないことに→
次々挑んでいった。
どんな陰口をたたかれても 突き進んだ。
最大の挑戦は 櫂入れの廃止。
でも そのお酒を多くの人がおいしいと言ってくれた。
櫂入れの全廃に 踏み切った。
そのお酒は 鑑評会で金賞を受賞。
評判も高まった。
でも 壁が立ちはだかった。
売り上げが 一向に伸びないのだ。
何が いけないのか。
その目が あるものに留まった。
数千万円を投じて導入した最新鋭のタンク。
発酵温度を電子制御する

ハイテク機器だった。
翌年。
以前のタンクに戻して お酒を造った。
すると…。
出来上がったのは遊び心のある ほっとするお酒。
確信が 宿った。
高橋さんのお酒は 人々の心を捉え始めた。
(一同)カンパーイ!
売り上げは 上昇に転じた。
乾杯!
(一同)乾杯!
いつしか
笑顔の絶えない酒蔵になっていた。
この日は 19度目の金賞を祝う会。
そのテーブルに 温度計。
発酵温度を測っているという。
宴のさなか 蔵人が席を立った。
それを見て 高橋さんも。
実はこの時期 酒蔵の命運を左右する→
新たな挑戦が 始まろうとしていた。
高橋は 枕を片手に我々の前に現れた。
造っていたのは 最高峰の酒…
米を35%まで削り極限まで雑味をそぎ落とすことで→
澄み渡った味を追求する。
米に水を吸わせる「浸漬」は杜氏泣かせ。
吸水が速いため 引き上げる
タイミングの見極めが難しい。
目標の吸水率は 28%。
誤差 僅か0.1。
ここからが

杜氏の腕の見せどころ。
麹菌を
いかに米に根づかせるか。
通常の酒は 米全体に菌を行き渡らせる…
だが 大吟醸は菌を一部に根づかせる「突きハゼ麹」。
難易度は 段違い。
米本来の味を じっくり引き出すため→
菌糸を奥深くまで
食い込ませなければならない。
鍵を握るのは 温度管理。
高橋はこの冬 新たな手を打った。
十の窓がついた 製麹機。
麹菌が発する熱をこまめに逃がせるため→
丁寧な温度調整ができる。
だが うまくいくかは 分からない。
最上級の米を台なしにするおそれもある。
高橋は 寝ずの番。
製麹機に入れて 16時間。
発酵温度が 37度近くまで上がってきた。
2時間後。

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