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2019/03/13(水) 00:42〜01:37 NHKスペシャル「終(つい)の住みかと言うけれど…〜取り残される被災者〜」[字][再]

あの日から8年。
東日本大震災の被災地は
建物の建設が進み→
新たな町の姿に
生まれ変わろうとしています。
国が自宅を失った人のために建設する
災害公営住宅は→
ほぼ全てが完成しました。
しかし 終の住みかの扉の向こう側では→
深刻な事態が起きています。
誰にもみとられずに亡くなる孤独死が一年で4割増加。
被災者の孤立化が進んでいます。
一方 自宅を津波で流されなかった人も…。
今も家を修理できずにいる人は
石巻市だけで 2,400世帯に上ります。
原発事故が起きた福島。
ふるさとに戻らないことを決め自宅を取り壊す人は→
喪失感に襲われています。
ふるさとに戻ると決めた人も変わり果てた町の姿を目にし→
追い詰められています。
東日本大震災から8年。
終の住みかを巡り→
国の復興政策から取り残される被災者の→
知られざる実態です。
自分にとって ここが終の住みかになると思ってきた家が→
ある日突然
消えてなくなってしまったら→
あるいは
変わり果てた姿になったとしたら。
まずは そこから


想像してみて頂ければと思います。
そして 今回 私たちが取材した人は→
その悲劇が現実のものとなった人たちです。
東日本大震災から明日で8年です。
国が10年と定めた復興期間も大詰めです。
家を失った人たちのための災害公営住宅は
岩手 宮城 福島の3県で→
今月中に ほぼ全てが完成する予定です。
形の上では 新しい終の住みかは整いつつあると言えそうです。
しかし 大きな喪失感は
今も被災者たちをさいなんでいます。
それどころか 支援の網の目から→
こぼれ落ちてしまってる人も少なくありません。
そうした人たちにとっての終の住みかは→
今も あまりにも痛々しい姿をさらしています。
宮城県石巻市に 今も壊れたままの家に
住む人がいると聞き 訪ねました。
家の外観は
特に問題はないように見えます。
1人暮らしの佐藤悦一郎さん 74歳です。
ほら。 あらららら…
自宅は 津波で1階部分が水没し
大規模半壊と判定。
国からは 202万円の補助が出ました。
しかし 修理しきれず床の基礎部分も壊れたままでした。
地震が起きた時 佐藤さんは
倒れてきた たんすの下敷きになり→
脚に大ケガを負いました。
ケガのため避難所に行けず→
佐藤さんは 壊れた自宅の2階で


過ごすしかありませんでした。
震災直後 被災地には 自宅の1階が壊れ
辛うじて残った2階に逃れた→
2階族と呼ばれる人が数多くいました。
さまざまな事情で避難所には行かず→
壊れた自宅などで
避難生活を送った人たち。
その後
在宅被災者と呼ばれるようになりました。
津波で
生活に必要なものを流された佐藤さん。
厳しい暮らしに耐えかね
仮設住宅への入居を希望しました。
しかし…。
実は 災害救助法の国の運用基準では→
仮設住宅に入居できる対象を
原則として 次のように定義しています。
「家が全壊 流出するなどして→
居住する住家がない者に供与する」。
佐藤さんは
住む家があると見なされたために→
仮設住宅への入居が
認められなかったのです。
国の制度では 家を失った人と→
家があると見なされた在宅被災者の間には→
支援に大きな格差が生じます。
家を失った人は避難所に行き物資などの支援を受けやすくなります。
その後は
行政が仮設住宅を無償で提供。
更に 災害公営住宅を建設し

住まいを保証する仕組みです。
一方 在宅被災者の場合→
私有財産の自宅の修理に使える補助金は最大258万円。
それで家が直しきれなくても
あとは 自助努力するしかありません。
しかし 8年がたって その自助努力も
限界に来ている現状が分かってきました。
年金暮らしの杉山 榮さん。
妻も子も 既に病気で亡くなり頼れる身寄りもありません。
家には 1階の天井近くまで

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ikatako117

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