「年輪」を きちんと見つめることだ。
続いてのプロフェッショナルは…
認知症の「常識」を覆し普通の暮らしを守ろうと奮闘。
名古屋にある介護施設。
朝5時。
和田行男は 施設に泊まり込んでいた。
おはようございます。
ここは グループホームと呼ばれる
介護施設。
認知症のお年寄り17人が 職員の支援を
受けながら共同生活を送っている。
身寄りのない人もいれば 家族の事情で
自宅を離れ 入居する人もいる。
和田は 首都圏を中心に
23か所の施設を統括する→
認知症介護のエキスパートだ。
和田の接し方は 独特だ。
相手の反応を見つつ
明るくユーモアあふれる語り口で→
心の距離を縮めていく。
この認知症の介護に 和田は揺るぎないある信念を持って挑む。
和田が 現場に立ち始めた1980年代。
認知症になれば 普通の暮らしとはかけ離れた状態で介護されるのが→
当たり前だと思われていた。
例えば 徘徊は 問題行動と見なされベッドや椅子に拘束された。
更に 外に出て行けないよう
出口には鍵がかけられた。
認知症になっても介護のしかたによっては
普通の暮らしを送ることができる。
そう主張し 新たな介護の流れを
生み出した一人が 和田だった。
和田の施設では 毎日700メートル離れた
市場まで買い物に出かける。
その日の食材を 自分たちで選び
お金も支払う。
メニューも毎回 自分たちで決め
自分たちで調理する。
認知症になる前と
ほとんど変わらない暮らしだ。
自分でできることは自分でし
できない部分だけを介護者が支える。
普通に暮らす姿を支える
それは簡単なことではない。
この日 和田は突然
一人の女性に声をかけた。
認知症は 人により
その症状や病気の進み具合が全く異なる。
その状態を把握しないまま
包丁を使うなどすれば→
大けがにもつながりかねない。
何ができて 何ができないか?
和田は 記憶力や身体能力など
150にも及ぶ項目を→
さりげなくチェックしていく。
時に体に触り 時に耳をそばだて時には顔を近づけ 匂いも嗅ぐ。
和田は 五感を総動員させ
一人一人の状態を把握していく。
和田さんは 専門的な技術と知識で 生活を
支援する国家資格 介護福祉士の一人だ。
しかし この施設には→
結果的に認知症の進行を遅らせるのに役立つと見られるこだわりが随所にある。
例えば 部屋の扉。 全て色も形も同じで
表札も掲げられていない。
これは 和田さん流の脳トレーニング。
あえて分かりにくくすることで部屋を覚える努力を促す。
そして この照明のひもも
こだわりの一つだ。
和田さんが一人の男性に声をかけた。
男性は料理が得意だというが施設に来てから台所に立ったことはない。
料理を始めると
なぜか女性たちが台所にやってきた。
しかし その動きに加わらない女性がいた。
以前から一人でいることが多く気になっている女性だ。
和田さんは この時とばかり 声をかけた。
周りが動く姿を見せることで→
自分もやってみようという意欲を
引き出すのだ。
住み慣れた「地域」で最期まで
暮らしたいという思いを 支えてきた。
朝9時。
出勤といっても 職場までは 徒歩15秒。
加藤は 自宅の隣で
3つの介護施設を運営している。
特に力を入れるのが
「小規模多機能型」と呼ばれる支援施設だ。
基本は自宅からの「通い」だが
必要に応じて「宿泊」もでき→
職員の「訪問」サービスも受けられる
柔軟さが特徴だ。
家族や施設頼みだった介護の在り方が
行き詰まりを見せる中 注目を集めている。
(セミの鳴き声)
は~い うん。
この日 朝から相談事が持ち込まれた。
「父ちゃん」の愛称で呼ばれている82歳の男性が→
孫の晴れ姿を見たいという。
問題は 送迎の車を確保できるかどうか。
利用者が望むなら
みんなでベストを尽くしていく。
この施設を立ち上げた時