あるんです。
はい 先ほどのですね
移築された建物ですが→
もともとは
ちょっと振り返って頂いて→
あそこの うっそうとした高台に
あったんですね。
へえ~。
で もう少しですね 先に歩いていくと…。
あ そうですか。
(大島)行ってみましょう。
(大島)まあ要は この辺りに
賢治が耕した土地があったと。
ほうほう… じゃあ…
随分もう育ってますが。えっ? 何だ こりゃ。
白菜ですか。
あ~ 白菜。
宮沢賢治もですね 実は ここで…
あぁ~ 確かに。
長野とか ありますね。
寒い…
そこです。
稲がダメになった場合に寒さに強い作物をと。
あぁ~ 実験してた。
で 農家に推奨してたわけですね。
はい。
そう 賢治は→
寒さに強い白菜やキャベツ レタスなどの
栽培を広めることで→
冷害に苦しむ農民を救おうとしたんです。
下の畑は その実験農場でした。
更に 賢治は
先進的な農業技術も導入しました。
それは…
賢治が農民に配った肥料のカルテも残されています。
わあ~。
おお~。
そうだね。
賢治は…
へえ~! これ すごいね。
「早ク直ッテ繁ッテモ愕カヌコト」。
自信があるんだろうね。
なるほどね。
(大島)そうだと思います。
でも…
そうですね。
「なるほどね」って言ってついていく農家さんと→
「いや~ そんな化学肥料 ちょっと
新しすぎるんじゃないか」と言う→
農家さんもいたというのは
聞いたことありますね。
ここで ある意味
はっきり言って ちょっと…
時代の先を行き過ぎたがゆえの挫折。
そんな思いも また「雨ニモマケズ」には にじんでいます。
「ミンナニ デクノボート ヨバレ→
ホメラレモセズ クニモサレズ→
サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ」。
若い時のタモリさんが違和感を感じたこのフレーズ。
ひょっとすると 無念の思いから
生まれた言葉だったんでしょうか。
(大島)じゃあ…
でも あの人 あれですよね…。
土壌にも うん 詳しくなる。
そうなんです。
だから 「あんたの田んぼ どこ?」って
聞いて こういうのを見て→
「ああ あそこは こういう土だから
肥料は こうしなさい」とかいうのを→
自信持って言えたわけですね。
そうです。
実は 賢治は学生時代に→
この地域の地質について深く学んでいました。
これは 直筆の地質調査図。
自らの足で 岩手の山々を歩き→
まとめたこともあるんです。
あっ 物語の中でもなんかマニアックな…。
ものすごくマニアックです。
これ別に 普通に「石」って書きゃいいだろうっていうような。
いやいや! そこは そう書かないですね。
書かないですよね。
山見たって
ただ「山」とは書かないですから。
確か あれ…
お父さんの仕事で転校してくるんだ。はい。
お父さんの仕事は その付近に
モリブデン鋼が埋蔵されてる…。
そういうことです。
モリブデンってね…。
ここ マニアックですよね。
マニアックですよ。
物語だからね
金でいいじゃないですか。
銀でもいいじゃない。
引っ掛かっちゃいますよねなんか そこだけ。
地質を好きな人は もう喜んじゃう。
ちょっと仲間意識みたいなのを感じて。そう あるある。
急に 宮沢賢治に こう近く感じたりと。
(笑い声)
今 生きてたら 仲良しになってたかも…。