「やれ」って言ってるような感じとか。
あんなのって すごく見落としがちな→
もう 本当に瞬間の 数ミリじゃないですか。
ああいうお芝居が
すごいなって思いましたけど。
でも それは もう本当に→
自分がああしてしまうっていうことが→
ある意味 作ってきた…
33話まで作ってきたものが→
もう… 何ていうのかな。 自然と
反射で出てくるようになった状態で。
その中で勝手に
出てきてしまうんだったら いいし→
それを 何か こう 急に→
画面の向こうの人のことを意識し始めると→
ものすごく たぶん
ガイド付けたくなっちゃうんですけど→
そこは すごい セーブします。
常に 自我と表現について突き詰めながら役者の道を歩んできた高橋。
一体 何のために そこまでするのか。
高橋さんにとって芝居っていうのは何ですか?
何でしょうね…
おお~。
たぶん 誰かのために
お芝居をしてるっていうことが→
とっても難しかったんですよね。
何だか 役とその作中に入っていくことによって→
自分の人生を補うみたいな感じを→
子どものころから ずっとあったので。
こう… 自分の人生に生かせるものが
たくさんあるんです。
そこでないとできない
感覚だったりとかっていうものが→
生まれてくるんです 疑似でも。
なので そうすると 結果的に自分のこと救ってることになっていて。
どうしても
お芝居っていうことをやると→
まず 自分のため
っていうことをやらないと→
人のためにっていうことには
到底 なれないような気がしていて。
何か物を作ったり
資格があったりとか→
いろんなことで
安心させることもできず。
う~ん… とても無形なものなので。
そうすると まず自分のことを先に救っといたうえで→
結果的に救われてるといいな
ぐらいの気持ちじゃないと→
何だか居心地が悪いんですね。
なので…。
確かに そうですね。
やっぱり 誰かのためにじゃなくて→
まず 自分があって
自分が幸せになったうえで→
次に まあ 誰かを…
身近な人を幸福にして→
どんどん それを
さらに外に広げていくっていうのが→
たぶん 一番長続きするし
自然だと思いますね。
そうですよね。 でも 中村さんから
それを聞けてよかったです。
芝居と建築を通して
人と向き合い続ける2人。
「他人を どう観察するのか」
という話になり…。
これは 何か 僕にとっても→
きっと ためになるんじゃないかなと思うんですけど。
誰かの気持ちになるためには ふだん…
例えば 何だろう。
全体を こう 見るのか
表情筋を見てるのか 何か こう→
指先だったり いろいろ こう…
どういうとこを見てるんですか?
足? まさかの足ですか?
ハハハハ…。
足先?
(笑い声)
足って
いろんなとこ向いちゃうんですね。
はあはあ…。
こう向いてしまうと対立の線になっちゃうんで→
だから それを
こう外したりしてるんですよ 常に。
はあ~。
それとかは 意識…例えば 相手の方がされてなくても→
わりと 心情に出やすいというか。
うんうん うんうん…。 そうですね。
無意識で… ここら辺は かなり 完全に
無意識の領域かもしれないですね。
でも わりと 人間って→
上手いこと隠せるので 顔も。そうですね。
手も たぶん こう…
わざとやってると→
「大丈夫ですか?」って
言ってくれたりするんですよ 人が。
だから 僕
わざとやったりとかしますし。
わざと こう