19人の犠牲者。
差別や偏見を恐れる
遺族の意向などから
今も名前は明かされていません。
亡くなった26歳の女性です。
母親が娘への思いを
手紙で寄せてくれました。
「毎日
思い出がよみがえるけれど
一瞬で泡のように消えてなくなり
涙がこみあげてきてしまいます。
被告には自分のしたことを認識し
罪を償ってもらいたい」。
19人が殺害され
27人が重軽傷を負う惨事に見舞われた、やまゆり園の人たち。
私たちは事件後から入所者や
家族の姿を記録してきました。
事件から3週間後
傷を負った息子を見舞う夫婦がいました。
尾野剛志さんと
妻のチキ子さんです。
一矢≫うー!
息子の一矢さんは首や腹など5か所を刺され
一時、意識不明となる
重傷を負いました。
事件のショックから
興奮状態になることもありました。
一矢≫うるさいよ!
事件後やまゆり園は建て替えが決まり
入所者たちは、別の場所で
生活することになりました。
あれから2年がたち、一矢さんに
大きな変化が生まれています。
尾野≫かなり皮膚が弱ってるな。
お母さん、薬…お母さん、持ってきたのかな?薬。
以前は、尾野さんの仕事も忙しく
親子が会えるのは月に1回程度でした。
事件のあと
傷ついた一矢さんのそばに
できるだけ寄り添ってきた
尾野さん。
親子で多くの時間を重ねる中
一矢さんはこれまでにない表情やしぐさを
見せるようになりました。
植松被告に
意思疎通ができない
心失者と決めつけられ
命を狙われた人たち。
事件のあと、新たな一歩を踏み出した人がいます。
20年以上
やまゆり園で生活していた
松田智子さん。
事件のとき隣の部屋にいた女性は植松被告に殺害されました。
母親の恵実子さん。
大きな衝撃を受けました。
智子さんは歩き回ることが好きな
活発な子どもでした。
しかし、突然外に飛び出すなど
はいかいがひどくなりました。
家族だけでは見られなくなり
17歳でやまゆり園に入所しました。
その後
足をけがしたことをきっかけに
行動を
制限されるようになりました。
やまゆり園がつけていた
智子さんの支援記録です。
事件前は、ほぼ毎日
車いすに拘束され、長い日は
12時間以上に及んでいました。
人手が限られる中
「見守りが難しい」と
されたためでした。
智子さんは次第に意思を
示さなくなっていったといいます。
事件後、神奈川県は
障害者の支援について新たな方針を打ち出しました。
やまゆり園の入所者が
どのような暮らしを望むのか。
今後は家族や
周りの人の考えではなく
本人の意思を尊重して
決めることにしたのです。
ことし3月、母親と智子さんは
この取り組みを進めている施設を訪れました。
専門性のある職員が
智子さんの意思を丁寧にくみ取っていきます。
好きな飲み物を選ぶよう
すすめられた智子さん。
見つめるだけで
手を伸ばすことはありません。
飲み物を口元に運ばれると
飲み始めました。
職員たちは生活のあらゆる場面で
智子さんの意思を見ていくことになりました。
突然、立ち上がって
どこかに行こうとする智子さん。
職員は行動をむやみに制限せずに
付き添います。
特に意識して見るのは