2018/08/06(月) 00:55〜01:25 NNNドキュメント「「ただいま」と言えない…〜原爆供養塔に眠る814人〜」[解][字]
♪♪~
<我々は
ある人を捜していた>
(
記者) こんにちは。≪は~い≫
(
矢野美和子さんの声)何かね これの家のね…。
(
美和子さん) えっさ…。
<広島の平和公園にある
原爆供養塔>
<そこには
今も多くの遺骨が眠る>
<名前が分かるものもあるが→
引き取り手がない>
<被爆直後の混乱で…>
(義之栄光さん) どうでしょう…。
それじゃ
いけませんか?
<戦後
遺骨は次々と→
家族の元へ返還された>
(泣き声)
<その数は減ったが…>
<去年の秋>
<家族の元へ帰れない
遺骨814人>
<その声に耳を傾けた>
<先月>
<広島市役所に張り出された→
原爆供養塔納骨名簿>
<被爆から73年経った今も→
家族の元に帰れない人たちだ>
<祈りの場
平和公園>
<その片隅で
彼らは眠る>
<引き取り手のない遺骨が
納められている>
<その数…>
<中には名前が分かっている遺骨もある>
<家族の迎えを待ち続けている>
<73年前>
<広島に原爆が投下され→
14万人の命が奪われた>
<広島市役所には→
市内各地から行き場のない遺骨が運ばれた>
<その遺骨を
安置するため建てられた→
原爆供養塔>
<ほとんどが誰の骨か分からない>
<名前が分かっているものは→
当初 2432人>
<遺骨は次々と家族の元へ
帰って行った>
(
泣き声)
<供養塔に人生をささげた…>
<40年以上毎日 供養塔に通い→
遺骨の引き取り手を捜した>
(佐伯さんの声)ごめんなさいって。
<佐伯さんがきっかけとなり→
広島市は名簿を全国に発送>
<遺族が100人
名乗り出る年もあったが→
その数は年々
減って行った>
<佐伯敏子さんが
最期まで語ったこと>
ほ~れ
もう着くで。
<被爆前の広島市内の町並みが
描かれた映画→
『
この世界の片隅に』>
<この映画がきっかけとなり→
7年ぶりに遺骨が引き取られた>
<当時の町並みを伝えた→
高橋 久さん>
<久さんは
原爆で両親と弟を亡くした>
<父
脩さん>
<供養塔名簿で見つけた→
父に よく似た名前>
<市に掛け合ったが→
認めてもらえなかった>
<娘の久美子さんは→
映画に関わり 喜ぶ父を見て→
20年ぶりに申し出た>
<そして…>
(
久美子さん)これ こんなんなってました。
<我々は
残る814人の家族を捜すことにした>
<松田昭文さん>
<豊田郡木江町>
<そこは瀬戸内海に浮かぶ
大崎上島>
<手掛かりは