厳しい冬に耐え 山で生きて来た>
<開拓地で軌道に乗せた
イワナの養殖を→
諦めるわけにはいかない>
<内陸地震から2年3か月>
<耕英地区への道がつながった>
≪やったね~! おぉ…≫
<熊谷さんの釣り堀にも
客足が戻った>
「
頑張れ」っちゅう そのひと声がもうホントに パワー頂いて→
やっと
これまで来たのかなと感謝感謝ですよ ホントに。
<しかし
そのわずか半年後>
<あの原発事故が→
栗駒山にも暗い影を落とす>
<山麓の川で採取された…>
<…が検出されたのだ>
<一方
熊谷さんの養殖イワナは→
検出限界値未満>
<だが 客足は途絶えた>
<2年は踏ん張ったが→
それが限界だった>
何か
この…。
<熊谷さんは→
山を下りた>
<熊谷さんは体調を崩し
入院していた>
(
せき込み)
<町での生活も
もう5年>
これ
モウソウダケ描いてみたりさ→
猫じゃらしの雑草を
描いてみたり→
こんなの描いたり
。
<山を下りてから
絵を描くようになった>
<花々が咲き誇った
あの山>
やっぱり
何十年も住んだとこは→
何か
諦めきれないっつうかさ。
あれだけの景色の中でね→
全てが興味を持って生きて来てさ…。
<心は
人生を懸けて切り開いた山に→
残したままだ>
(ナレーション) ここ 耕英開拓地は栗駒山の中腹に…。
<戦後間もなく
栗駒山の原生林に分け入ったのは→
[外:20CEE0565243800A66D32E75D89C232A]満州から
引き揚げて来た者たちなど→
28人>
<耕英地区の礎を築いた>
<入植から
およそ20年でようやく電気も通り→
400人が暮らすようになる>
<当時を知る第2世代は…>
…ってことじゃないかな
。
<しかし→
今 耕英地区の住民は70人ほど>
<その半数近くは
65歳以上の高齢者だ>
<そんな
この地で暮らし始めた→
若い家族がいる>
<耕英地区にあるくりこま高原自然学校>
(
鳴き声)
≪お~
いっぱい!≫≪お~ いっぱい! 見て!≫
(
塚原俊也さん)フフフ… こんなに?
<塚原さん夫婦は
住み込みで→
この施設の職員を勤めている>
<神奈川で中学校の教師をしていた→
夫の俊也さん>
<野外教育を志し→
14年前から
ここで働いている>
リスとかネズミが
松ぼっくりを食べた跡が→
エビフライみたいになる
。≪見えない≫
<妻の茉衣子さんは
地元 宮城の出身>
<同じ自然学校で働くうちに→
惹かれ合って行った>
<内陸地震から
ちょうど2年たった…>
<この日しかないと思った>