およそ20万人の命が奪われた沖縄。
住民を巻き込んだ凄惨な地上戦で
した。
この沖縄戦に向き合い、伝えよう
と奮闘する、
関西の若者がいます。
>>今は安らかに眠ってくださいねって。
あとは今自分がやっていることで
いいですかみたいのを聞いたりし
ます。
>>大阪府出身の西尾慧吾さん19歳。
現在、
アメリカの大学に通いながら、
沖縄戦を伝える活動をしています。
西尾さんが日本の各地で開いているのは、戦時中、
沖縄の人たちが暮らしていたごう、
いわゆるガマから出た遺品を用いた展示会。
おわんやくし、
たんすの飾りなど、
生活用品を中心に展示を行ってい
ます。
>>関西で平和学習とか、火垂る
の墓を見たりするじゃないですか。
防空ごうっていうと、
なんか、
空襲警報が出たら一時的に隠れる
場所というイメージだったりする
んですけど、なんか沖縄は、
そういう感じじゃなくて、どうしてこういうものが出るんだろうと
いうことを考えながら、遺品を見
てくださると、
具体的な戦争のなんていうかリア
リティーみたいなものをつかんで
いただけるかなと思っていて。
>>沖縄に住む人たちは、
地上戦が激しくなるにつれ、
ガマと呼ばれる洞窟に身を隠すようになりました。
空襲警報が鳴った数時間だけでな
く、数か月間にわたり、
冷たくて真っ暗なガマで暮らすこ
とを余儀なくされたのです。
展示されている数々の遺品は、
すべて1人の男性が集めたものです。
那覇市の住宅街にたたずむのは、
手作りの戦争資料館。
自宅の一角に所狭しと並べられて
いたのは、
すべて沖縄のガマから集められた
遺品です。
数十万点に及ぶ遺品を集めたのは、
国吉勇さん79歳。
>>導火線。
これに火つけてね、
投げたんだけど、
途中で消えてしまって、
2番目のやつ投げて、
2番目が爆発して、これが下敷きになってた。
かばんの下にね、遺骨も5、6体
くらい転がってた。
>>高校生のとき、好奇心からガ
マに入るようになりましたが、
そこで目の当たりにしたのが、
無造作に置き去りにされた遺骨と遺品の山でした。
日の当たる場所に出して、
家族のもとに返したい。およそ60年、
真っ暗なガマに潜り続けました。
>>やってもやっても出てくるもんだから、
やめられないわけね。
かわいそうだからちゃんと拾って
あげたい。
納骨堂に納める。
>>沖縄戦は、
アメリカが本土に上陸するのを食い止めるための捨て石にされたと
もいわれています。
鉄の暴風と称されるほどの大量の砲弾が撃ち込まれ、
およそ20万人が死亡。
沖縄県民の4分の1に当たる9万4000人の住民が命を奪われま
した。
火炎放射器や手りゅう弾などで、ガマは一つ一つ攻撃され、潰され
ました。
>>真っ赤っか、
200メートル、
300メートル中の2階建てでも上も下も真っ赤っか、
天井も壁も、
火炎放射だったら、曲がりくねっててもね、生き延びられない。
>>追い詰められ、最後は崖から
身投げした人もいました。
>>荒崎海岸に行ったことある?
>>ないです。
>>荒崎海岸といったらね、ひめ
ゆり女学生が追い詰められてね、
向こうで自決した所。
波打ち際だからね、
波に押し流されて取れなくなった。
波に、
大波が来るから、
洗われて白くなってる。>>2008年でも、このまま残
ってたってことですか?
>>そうそう、
誰もやらないから。