奈良県平群町の岩屋にこもり[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
修行していたといわれますが[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
いっこうに成果が上がらずブチ切れ!
拝み倒していた如意輪観音像に
放尿している最中に[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
局部をハチにさされ
巨根になったといわれ[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
まるで
弥勒菩薩のようだったとまで[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
言い伝えられています。
一説には その巨根で孝謙天皇に気に入られ[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
法王の地位にまで
上り詰めますが[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
それだけに飽き足らず
教科書でもおなじみの[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
宇佐八幡神託事件が勃発。
なんと 道鏡は皇位簒奪を図ったとされています。
宇佐八幡から
次期天皇を道鏡にするよう[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
神のお告げがあったとされ[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
実際には譲位はなされなかったものの[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
平城京中が大混乱に陥りました。
事件は未遂に終わったものの道鏡は左遷。
この事件は有史以来[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
天皇家にとって最大の危機だったといわれ[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
こんにちでも道鏡ゆかりの
ここ 弓削神社では[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
災いの元として巨根に釘打ち[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
浮気 過度の色欲封じを行う者があとを絶ちません。
大惨事ですね。
はい 大惨事です。
一般にうらやましいとさえ
言われる巨根ですが[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
その魅力ゆえに
大惨事に陥った例は[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
枚挙にいとまがありません。
大惨事ですね。はい 大惨事です。
しかし 今回の団さんの事例は
これだけにとどまりません。
わざわざ 「スゴイイですね~」と
言わせるために[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
金銭を払って
外国人を呼び寄せるというのは[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
もはや 常軌を逸している
と言っても過言ではありません。
逆に かつての栄光と
外国というものへの[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
劣等感を感じさせますね。
はい そのとおりです。
時代と共に衰退しゆくからこその
劣等感が[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
そこに隠されていることを
見逃してはなりません。
国民レベルでの ゆがんだ劣等感は[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
過去 多くの世界規模の悲劇を生んできました。
そこで大切なのが
過去の栄光を諦める技術です。
最もわかりやすいのが[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
同時代を生きた 今川氏真そして 武田勝頼の例ですね。
今川焼きと武田鉄矢?
今川氏真と武田勝頼ですね。
今川氏真と武田勝頼。
かの有名な武田信玄と今川義元の息子であり[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
似た境遇にありながら
諦める技術の力量差によって[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
対照的な晩年を送った[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
諦め研究の好事例といわれています。
今川 武田両氏は 戦国時代[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
最も天下平定に近かった大名でしたが[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
今川家は桶狭間で[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
武田家は長篠で織田信長にさっくり敗北。
強くても それ以上に
強い存在が現れたとき[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
それぞれのとった行動が
大きく命運を分けました。
今川氏真は 家臣団や諸大名に[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
スゴイイですねと言われることなど一切 期待せず[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
その後 よきところで
さっくり天下を諦め[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
徳川家康 織田信長に
あっさり降伏。
他方 武田家は徹底抗戦という
諦めきれない選択をとりました。
今川氏真は 自分の父を滅ぼした
かたきである織田信長の前で[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
後年 蹴鞠を披露するという
天性の才能ともいうべき[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
みごとなまでの諦めっぷりを発揮。
そのおかげで 氏真は最終的には[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
徳川家康の親友として
幕府に仕えて趣味三昧。
76歳という
当時としては超長寿を全うし[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
今川家は 徳川幕府以降も
高家と呼ばれる[外:583134B86E7D90960F64C5B863196978]
大大名並みの好待遇を受けて
繁栄します。
一方 武田勝頼は長篠の戦い後も
織田家へ徹底抗戦。
36歳で自害し 武田家は