映像には 最新兵器を備えたソビエト軍の姿が→
映し出されています。
大量に配備された航空機。
歩兵が中心の日本軍を
上空から攻撃しました。
負傷し倒れ込んでいるのは
日本兵です。
大砲や戦車は乏しく→
装備は ソビエト軍に圧倒的に劣っていました。
ノモンハンで九死に一生を得た元兵士が
健在でした。
柳楽さんが ノモンハンの最前線に
送られたのは 21歳の時。
身を隠すもののない草原に
塹壕を掘り→
ソビエト軍と対峙しました。
戦車や航空機による猛攻を受け→
166人いた柳楽さんの部隊は
ほぼ全滅したといいます。
凄惨な戦いは
4か月に及びました。
最終的に 日本軍は→
ソビエト・モンゴルが主張する国境線の外に→
追いやられる事になります。
2万人の死傷者を出した日本軍。
主力部隊の8割を失う
壊滅状態で→
当時としては 日本陸軍最大の
敗北となりました。
多くの戦友を失った 柳楽さん。
ノモンハン事件を引き起こした軍の上層部に対する憤りを→
79年間 抱え続けてきました。
ノモンハンでの未曽有の敗北を→
日本陸軍の上層部は
どう受け止めていたのか。
今回 その手がかりとなる
音声記録を→
アメリカで 新たに発掘しました。
150時間を超える 陸軍幹部の肉声。
アメリカの軍事史研究家が
1950年代から 30年にわたって→
インタビューした記録です。
更にNHKは 日本国内に残された音声記録も入手しました。
その数 44人。
天皇直属の統帥機関 参謀本部。
その作戦課長を含む6人。
満州国の防衛を担い→
ノモンハン事件を主導した→
関東軍の参謀ら 8人。
そして 壊滅的な打撃を受けた→
現地軍の将兵 25人などです。
当事者たちの貴重な証言から
見えてきたのは→
日本陸軍の
極めて曖昧な意思決定でした。
今回 発見された音声記録で
ノモンハン事件を主導したと→
異口同音に名指しされた
人物がいます。
関東軍 作戦参謀→
[外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9] 政信少佐です。
関東軍では
最も若い参謀の一人で→
本来 意思決定を下す立場では
ありませんでした。
ところが [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]少佐が立てた
ある方針が→
ノモンハン事件の引き金と
なっていきます。
「満ソ国境紛争処理要綱」。
国境線が不明確な地域では→
現場の司令官が
自主的に国境線を認定。
進入された場合には
一時的に越境してでも→
敵を封殺するという
極めて強硬な内容でした。
当時の関東軍の内幕を→
音声記録や内部資料を基にひもときます。
ノモンハン事件の
ひとつきほど前→
満ソ国境紛争処理要綱を
示した [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]。
その考えを
周囲に こう語っていた。
国境紛争が拡大しかねない
極めて強硬な方針。
しかし 慎重な意見は
あまりあがらず→
ほかの参謀たちも
[外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]に同意していく。
最終的に [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]が起案した処理要綱は
関東軍内で承認された。
この方針のもと 関東軍は→
国境地帯に およそ2,000人を派兵。
大規模な戦闘へと
つながっていく。
しかし 日本軍全体を統帥する
昭和天皇と直属の参謀本部は→
ソビエトとの紛争拡大を