この時のソビエト側の兵力は日本軍の倍以上にあたる→
5万7,000人に達していました。
今回入手した音声記録には→
最前線に投入された
元兵士の証言もありました。
(砲撃音)
この戦いを生き延びた…
圧倒的な戦力の差を
見せつけられた日本軍。
援軍も補給も絶たれていく中→
持ち場を死守するよう命じられていました。
その一つ 北部の拠点
フイ高地の井置部隊です。
部隊長の井置栄一中佐は
僅か800人足らずで→
5,000を超えるソビエト軍と
戦っていました。
今回の調査でも→
井置部隊の激しい抵抗の跡が見つかりました。
フイ高地に残っていたのは
日本語が刻まれた瓶。
兵士たちが手にした
火炎瓶と見られます。
塹壕から ソビエト軍の戦車に
肉薄し 炎上させました。
ソビエト軍の戦車200両に対し
数台の対戦車砲で対抗しました。
しかし 周囲から孤立し→
次第にソビエト軍の砲射撃に蹂躙されていきます。
井置部隊の兵士の記録です。
補給もなく戦う事 5日間兵員は 3分の1に減りました。
フイ高地の死守は不可能と考えた
井置中佐。
撤退を決断し 兵士たちに
こう告げました。
日本軍は総崩れとなり→
現地軍のトップ小松原道太郎中将も→
全軍に 撤退を指示しました。
4か月に及んだ 壮絶な戦い。
ソビエト側の死傷者は2万5,000人。
一方の日本軍の死傷者は2万人。
主力部隊の8割を失う
壊滅状態となりました。
日本は 国境と主張していた
ハルハ河から後退し→
敗北を喫したのです。
当時の日本陸軍にとって未曽有の敗北。
しかし 責任の大半は 現場へと
押しつけられていきます。
その矛先を向けられた一人が→
フイ高地で奮戦した井置中佐でした。
井置中佐の家族が暮らす姫路。
ノモンハン事件のひとつき後→
軍から 思わぬ電報が届きました。
詳しい状況は何も知らされませんでした。
戦場から撤退し 生き延びたはずの
井置中佐に何があったのか。
異変は 井置がフイ高地を撤退した
その翌日に起きていた。
あの [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9] 政信少佐が
井置を非難したのである。
そして 現場のトップとして→
全軍に撤退を指示した小松原中将。
小松原は 部下の参謀たちが
集まった会議で→
井置が自分の命令の前に
無断撤退したと糾弾した。
出席した参謀たちは
再考を求めた。
しかし 小松原は同じ発言を
繰り返すばかりだった。
今回入手した音声記録の中に→
小松原中将の側近の証言もありました。
鈴木善康参謀 井置中佐の死に
関わったと 告白していました。
関東軍は 井置中佐を
軍法会議にかける事さえなく→
ひそかに自決を促していたのです。
自決の直前 井置中佐は→
家族に手紙をしたためていました。
つらい立場にある事をほのめかしながら→
家族を安心させようと
気丈に振る舞っていました。
突然 夫の死を知らされた
妻のいくさん。
その2か月後
ある人物の訪問を受けました。
井置中佐の自決の経緯を知る
小松原中将。
帰国後 戦死者の遺族の慰問に
回っていました。
しかし 小松原中将から→
家族に真相が伝えられる事はありませんでした。
敗戦後 責任を問われたのは→
井置中佐だけではありませんでした。
ソビエト側に捕らえられた
日本軍の捕虜です。
戦いのあと およそ200人の捕虜が
関東軍に引き渡されました。
戦闘中に不時着し 捕虜となった…