新政権へ向けての動きなど→
革命の7日間が
克明に記録されている。
この映像の記録は 12月21日→
チャウシェスク大統領の演説会の直後→
騒然とした ブカレストの大通り
1848年通りの画面から始まっている。
撮影者は スピル・ゼレシュ 46歳。
彼は 人目を避けるようにしてビルの窓から→
デモの群衆が
警官隊と向かい合う様子を捉えた。
厳しい言論統制をしてきた
チャウシェスク政権の下では→
こうした光景にカメラを向けることは
禁じられてきた。
警官隊と群衆は
およそ1時間にわたり 対峙していた。
しかし 時間とともに
その間隔は狭まり→
警官隊が後退を始める。
この日の撮影は ここで終わっている。
これ以上 カメラを構えることは
危険だと判断したからである。
(群衆の声)
翌朝 ゼレシュは→
街に響き渡る群衆の声に
ビルの階段を駆け上がった。
(群衆の声)
ブカレストでは 22日未明には→
治安警察が
戦車をデモの群衆の中に突入させ→
発砲して 多くの死傷者を出す事件が
起きていた。
(銃声)
(反抗する声)
群衆は チャウシェスク政権の中枢
共産党本部へ向かって動き始めた。
ゼレシュのカメラは 道路に下りた。
国軍の戦車は政権打倒を叫ぶ市民を乗せて→
共産党本部の方へ向かっていく。
テレビとラジオは 「ミレア国防大臣が自殺した」と伝えていた。
このころから
国軍兵士が 市民の側に加わり始めた。
正午 カメラは 群衆と共に→
前日 チャウシェスク大統領が演説を行った→
共産党本部の前に近づいていた。
市民は 次々と共産党本部へ なだれ込んだ。
この時 カメラは→
共産党本部の屋上から飛び立つヘリコプターを捉えている。
♪♪~(歌声)
(歓声)
この歴史的瞬間を
別の場所から捉えている→
もう一台のカメラがあった。
共産党本部のバルコニーから撮影していたのは→
ダン・チョバヌ 33歳。
彼は 学生たちだけでなく→
老若男女 あらゆる人が
デモに加わっているのを見て→
この革命を記録しようと
共産党本部の中に入り込んだ。
このカメラは 工場勤めのかたわら
アルバイトをして買ったものである。
(歓声)
本部内部では→
これからの組織づくりの議論が
続いていた。
こうした 組織づくりを目指す
グループが あちこちに出来→
本部は 混乱状態にあった。
♪♪~(歌声)
民衆の前に チャウシェスク政権の→
ダスカレスク首相が引き出される。
このころ
バルコニーに立つグループからは→
前政権に加わっていた人物を
取り込んだ 指導部作りが→
提案されている。
しかし 群衆は 敏感に反応する。
辞任を発表した首相の最後の仕事は→
政治犯の釈放を認める書類にサインすることであった。
午後1時 チャウシェスク大統領逃亡の
ニュースが流れた。
ルーマニア国営テレビにも
市民が押し寄せた。
カメラマンのゼレシュも
撮影現場をテレビ局に移した。
政権崩壊後の混乱の中で→
テレビは 市民に事態の進展を伝えるとともに→
市民への協力を呼びかけ
革命の重要な拠点となった。
スタジオに詰めかけた人々が
次々にカメラの前に立ち→
国民に訴えかけた。
共産党本部前の広場では集会が続いていた。
もう一人のカメラマン チョバヌは
ここを動かず 撮影を続けていた。
このころ 中では
臨時政権樹立へ向けて→
救国戦線が動き始めていた。