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2019/01/27(日) 13:50〜15:00 あの日 あのとき あの番組「シリーズ平成 冷戦終結の衝撃 そして世界は」[字]


カメラはそのリーダーたちの姿を捉えている。
後に首相となるロマン。
ブカレスト工芸学校の教授である。
救国戦線評議会議長となるイリエスク。

元共産党中央委員会書記。
そして
副議長 外交委員長となるブルカン。
元国連大使である。
副議長となるドミトル・マジルも→
自宅軟禁を解かれ 駆けつけた。


マジルは 外交官であったが→
チャウシェスク大統領を
批判したため→
その地位を追われていた。
チャウシェスク大統領の逃亡政権崩壊から→
およそ6時間が経過した。
チャウシェスク派が銃撃を始めたという報告が→
地方から届いた。
(銃声)
12月22日 午後7時。
共産党本部前の広場を挟んで激しい銃撃戦が始まった。
(銃声)
本部と向かい合った共和国宮殿から激しい銃撃が浴びせられた。
しかし この時点では→
この攻撃を仕掛けてくる者が誰なのか分からなかった。
(銃声)
カメラマン チョバヌは本部の外に出た。
銃撃と同時に 本部内の電灯が消され
撮影が不可能になったためである。
(銃声)
銃声は 次第に市内に広がっていった。
(銃声)
午後9時過ぎ チョバヌは再び 共産党本部に戻った。
建物の中は 銃撃戦を避ける人々と
けが人で あふれていた。
混乱の中 支援態勢は整いつつあった。
救護室が設けられ→
食料やミネラルウォーターも
運び込まれた。
共産党本部の建物の中に隠れている

チャウシェスク派を発見しようと→
自警団も組織された。
(銃声)
カメラは 救国戦線の司令室に入った。
(銃声)
軍を指揮する立場になったのが
グシェ参謀総長。
政権が倒れると同時に
救国戦線側に加わり→
テレビを通じて 国軍に対し→
市民の側に立つよう呼びかけた人物である。
もう一人は 内務省のブラッド副長官。
内務省に属する治安警察の指揮に当たる。
この時期 救国戦線は
軍と警察の力を必要としていた。
しかし 2人とも→
チャウシェスク政権の中枢にいた人物である。
救国戦線の 2人に対する警戒心は
拭い去れない。
カメラマンのチョバヌも→
この革命の成否の鍵は軍と治安警察にあると→
2人の指揮官の動きを
克明に追うことにした。
22日夜 2人の
事態に対する危機感は まだ薄い。
明けて 12月23日 午前2時
銃撃は 激しさを増した。
(銃声)
2人の指揮官に対する市民の側からの批判が相次いだ。
この司令室では

捕らえられたチャウシェスク派が→
次々と連行されてくる場面も
撮影されていた。
ブラッド副長官の指揮下にある
治安警察のメンバーも含まれていた。
内務大臣と→
チャウシェスク大統領の右腕といわれた→
共産党中央委員会書記が
連行されてきた。
突然 ハンガリーの国防省から
電話が入った。
この夜の
2人の指揮官の行動については→
革命後 1か月たった今も
さまざまな臆測を呼んでいる。
ブラッド副長官は→
この夜の救国戦線の動きを知った上で暗号を使い→
チャウシェスク派を動かしていたのでは
ないかというものである。
しかし いまだ 真相は明らかではない。
その後 ブラッド副長官は 逮捕されグシェ参謀総長は 解任された。
(銃声)
23日チャウシェスク派の抵抗は激しく→
首都 ブカレストをはじめ
各地で国軍との市街戦が続いた。
ブカレストでは チャウシェスク派は
秘密の地下道などを使いながら→
場所を変えて 攻撃を繰り返した。
救国戦線側は→
銃撃してくるチャウシェスク派を


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