おととし1年間に→
3万2,000人もの無縁死が
起きていることが→
初めて明らかになりました。
その中で 私たちが注目したのは→
単身者
独りで暮らす人が多いことでした。
気付かないうちに
水面下で広がっていた 無縁死。
頂きま~す。
今 独りで生きる人たちの間で不安が高まっています。
家族や会社との つながりを失い
孤立して生きる人たち。
今 無縁社会とも言える時代に
突入しています。
無縁死 3万2,000人。
私たちはその深層に迫ることにしました。
こちらになります。
3万2,000人の無縁死の中には→
名前さえ分からない
身元不明の遺体が→
年間 1,000人近くに上ります。
こういう形で 警察の方から預かります。
警察でも自治体でも
身元がつかめなかった無縁死。
行旅死亡人と呼ばれています。
国が発行している「官報」。
そこに 毎日のように→
行旅死亡人の記事が掲載されています。
遺体の引き取りを
親族に呼びかけるためのものです。
身長 所持品 氏名 性別。
亡くなった人の情報は 僅か数行です。
なぜ 人々は
社会とのつながりを失っていき→
無縁死していくのか。
私たちは 去年3月に掲載された行旅死亡人の記事に注目しました。
自宅の居間で
亡くなっていたにもかかわらず→
名前が分からず
氏名不詳となっていたからです。
私たちは この男性の死までの軌跡を
たどっていくことにしました。
(大家)ここだよ。
いつも開けてるんですか?開いてるわよ。
何も持っていくもん ないもん。
はい ここ開けて。
はい どうぞ見てって。
(取材者)当時 臭いとか すごかったですか?
あっ 臭い すごかったよ。
死んでからね 5日ぐらいたってる。
(大家)昭和何年に入ってる?
(取材者)平成3年ってなってますよ。
(大家)えっ?
平成3年なら この間じゃん。
(取材者)名前 小林忠利って…。
(大家)うん そういう字 書くの。
なぜ 名前があるのに
氏名不詳となっていたのか。
いや 僕は あんまり聞かないね。
この年になるとそんなに 聞いたところで…。
話しても あんまり
詳しいことは言わなかった。
家族もいないため 誰一人→
小林さんの身元を特定することはできませんでした。
それでなかったら
南六郷の都南給食 行ってきな。
(取材者)都南給食?
うん。
名前さえ分からなかった 小林忠利さん。
自筆の履歴書には出身地は 秋田と書かれていました。
小林さんは どのような人生を
歩んできたのか。
私たちは
秋田の本籍地に向かうことにしました。
(取材者)どんな感じであったのか
ちょっと教えてもらっていいですか?
(取材者)道路が広くなったんですかね。
(取材者)場所としては この辺?
土地は 人手に渡り→
小林さんの両親は既に亡くなっていました。
小林さんは 高校を卒業後
地元の木工所に勤務していました。
しかし 32歳の時 倒産。
地元に親を残し東京へ働きに出ていました。
こんにちは。
あ どうも どうも すみません。お邪魔します。
ああ どうも どうも こんにちは。
すみません。
うん これな…→
一人っ子だったからな男一人だったから。
いや~ ちょっと ねえな。
小林さんの遺品の中に残されていた→
一枚の通行証。
その手がかりから 亡くなる半年前まで→
東京で派遣労働をしていたことが
分かりました。
小林さんは
給食センターを定年退職したあとも→
日雇いで働き続けていました。