1つの部屋で構成される→
「竪坑墓」と
呼ばれるものです。
ファラオの墓にしては シンプルすぎます。
しかし 場所を見る限り→
ファラオの許可を得て造られた
王族の墓と考えられます。
この墓で特に目に付くのは
壁面に全く装飾が無いことです。
ファラオの墓であれば→
たとえ未完成でもこんなことは ありえません。
ファラオの
きらびやかな墓とは異なりますが→
これも 恐らく
伝統に沿った造り方だったのでしょう。
つまり 王妃や王女の墓は→
飾りたてないのが普通だったということです。
KV64の形式は 墓の主が
王家の一員であることを示しています。
ビッケルは がれきの下に埋もれていた
ミイラの亡骸が→
その人物だったと考えています。
ミイラを分析した結果→
墓と同じく 第18王朝の時代の方法で
作られたことが分かりました。
足が別々に包まれています。
第18王朝の時代に よく見られたミイラの製作技法です。
指と腕に包帯が巻かれています。
おなかの部分には内蔵を取り出すために切った痕があり→
中には 非常に薄い麻の包帯を
巻いたものが詰められています。
ミイラの正体について さらに調べるため
専門家の協力を求めました。
フランク・リューリは
最先端の医学技術を駆使して→
古代のミイラを研究しています。
これは骨盤の部分で右腕と右手の一部も映っています。
ご覧のとおり骨盤が広いので
明らかに女性です。
首の頸椎の部分に
進行性の病気の痕が認められます。
ですから
あまり若い女性ではないでしょう。
ミイラは 40歳前後の女性→
しかも 上流階級の出身である可能性が高まりました。
(フランク・リューリ)骨に 目立つ傷が
ほとんど見られないんです。
日常的に体を酷使する労働者であれば
こんな状態ではありません。
さまざまな証拠から 亡骸は
エジプト王家の王女と推定されました。
労働をした形跡がなく
死後 丁重にミイラにされ→
ファラオに近い者たちが葬られた場所に
埋葬されていたからです。
彼女は王家の一員 または 王家に近い
一族だった可能性が高いでしょう。
墓が造られた場所から推測すると→
ファラオの周辺にいたかなり重要な人物だったと考えられます。
位の高さを示す さらなる証拠は
亡骸のそばで見つかった副葬品でした。
墓の造りはシンプルですが
副葬品は 美しく上質です。
蓋つきの壺は
臓器を保存するための…
高さ数センチの貴重なガラスの容器。
当時 ガラス製品は非常に珍しく→
王家の周辺でしか
使われていませんでした。
つまり ミイラの女性は ファラオに近い
重要な人物であったことがうかがえます。
しかし 裕福で位の高い身分であった
にもかかわらず→
亡骸は死後 バラバラに破壊されました。
ビッケルの考えでは こうした冒とく的な行為が意味するものは ただ一つ。
墓荒らしです。
ミイラには 麻の布が何重にもわたってきつく巻かれていましたが→
すべて[外:F7A3B72FDDEE0AF3248DB4014D8B90FA]がされてしまいました。
盗賊たちが ミイラの体に 装身具や貴重なお守りがあると期待したからです。
布を[外:F7A3B72FDDEE0AF3248DB4014D8B90FA]がされたミイラは つなぎ目の
支えを失い 非常に もろくなります。
頭が外れたのは 首の部分が
体の中で最も壊れやすいからです。
布が無くなると
すぐに頭が転げ落ちてしまいます。
KV64に最初に埋葬された人物は
墓荒らしの標的となったのです。
王家の谷にある ほかの墓と同じように
略奪されました。
一体 墓荒らしとは
どんな人々だったのでしょうか?
最悪の墓荒らしは 実は
19世紀に初めてエジプトに やって来た→
いわゆる「学者くずれ」でした。
学者とは名ばかりで実際には泥棒と違わない人々でした。
墓に入っては
副葬品などを奪い→
自分の国の博物館へ持ち去るか
売り飛ばすかしたんです。
しかし 調査から KV64が荒らされたのは