特別な印象を受けました。
この人物の前に立ってみましたが→
完全に包帯で覆われているので目を見ることはできません。
表面を覆う 黒っぽい樹脂は
恐らく ひつぎを閉じる直前に→
神官たちが
彼女の亡骸に塗ったものでしょう。
ひつぎの中の女性について
さらに詳しく知るため→
再び ミイラの研究者の元へ向かいました。
骨盤や腹部 胸郭の辺りに詰め物が見えます。
KV64に最初に埋葬された
女性よりも大量です。
この部分には 何らかの
臓器があったのかもしれません。
X線の調査で ネヘメスバステトは→
若くして亡くなったことが分かりました。
死亡年齢は二十歳前後と推定されます。→
親知らずがまだ完全には生えていないからです。
死亡原因は特定できませんが→
子どもの頃からの労働のせいかもしれません。
(フランク・リューリ)今回
ネヘメスバステトのミイラの調査は→
王家の谷から
遠く離れた場所で行いました。→
それでも 背景にある壮大な歴史が
ひしひしと伝わってきます。
彼女は きっと自分の信念を持って
生きていたと思います。
ミイラを前にすると
深い感慨を覚えずにはいられません。
KV64の2人目の女性の 名前と年齢→
そして死因につながる事実が分かりました。
さらに 墓から見つかった 小さな碑板には
本人と思われる女性が描かれていました。
墓の地下に保存されていたので→
この手の発掘品としては最も美しい部類といえるでしょう。
修復の痕も無く すばらしい色彩です。
左側に描かれた像は いくつかの神々のイメージを併せ持っています。
そして 向かい側で祈りをささげている
女性こそ ネヘメスバステトです。
中央のテーブルの上には
パンや鳥 たまねぎ フルーツなど→
さまざまな食べ物が載っています。
花も飾られています。
こうした品々は 死後の世界での生活を
保証するためのものと見ていいでしょう。
この碑板は ネヘメスバステトの
ひつぎに添えられた唯一の副葬品でした。
500年前の王女が 多くの宝物と共に
埋葬されたのとは 全く異なります。
高価な副葬品がないことは→
ネヘメスバステトが王族の一員ではないことを示しています。
では なぜ ファラオたちが眠る
王家の谷に埋葬されたのでしょうか?
謎を解くカギは ひつぎに記された
「アメン神の歌い手」という称号です。
それは
古代エジプトの宗教に関わるものです。
当時 宗教の中心は
王家の谷の すぐ近くにありました。
カルナク神殿です。
カルナク神殿はもともと小さな礼拝堂でしたが→
歴代のファラオが 神への忠誠心を
アピールするために→
建造物を増やし
巨大化しました。
ネヘメスバステトは
アメン神の歌い手として→
宗教上 重要な役割を
担っていたのかもしれません。
(サリーマ・イクラム)このコンス神殿は
大規模なカルナク神殿の一部です。
コンス神というのは
太陽神アメンの息子の名前です。→
女性の神官と同じように
アメン神の歌い手は この中庭を通り→
向こうに まつられた 神のもとで→
日々の宗教的な勤めを果たしていたのかもしれません。
(サリーマ・イクラム)ここは聖域の中の聖域
アメン大神殿の中心部です。→
この場所に 神の像が まつられ
神殿全体に輝かしい力を放っていました。
現在でも 神への祈りの歌が
ささげられます。→
もちろん ファラオの時代と全く同じ
という訳ではありませんが→
古代の雰囲気を想像することは
できるでしょう。
カルナク神殿は
世界最大級の宗教施設です。
神殿の規模が拡大するにつれ→
神官と その家族は富と影響力を増していきました。
紀元前11世紀には ファラオに代わり
エジプトの南半分を支配しました。
神官たちは
王家の谷を引き継ぐことを表明し→
かつてファラオの墓地だった場所に
位の高い人々の墓を設けました。
アメン神の歌い手であり