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2019/05/21(火) 22:30〜23:20 プロフェッショナル 仕事の流儀「芸者として生きるということ〜芸者・赤坂育子」[解][字]


歩んできたのだろうか。
昭和15年
9人きょうだいの末っ子として→
熊本で生まれた育子さん。

かわいいものが大好きで将来の夢は 花屋さんになることだった。
そんな育子さんが芸者を志したのは
16歳の時。
家族から猛反対されたが 高校を辞め→
熊本市にある置屋に飛び込んだ。
早朝から炊事・洗濯に始まり


先輩芸者の身の回りのお世話。
日中は 三味線や踊りの稽古
夜は お座敷の手伝いと→
目も回るような忙しさ。
でも つらいとは思わなかった。
4年後には 踊りに秀でた
気立てのいい芸者として→
熊本では名の知れた存在となった。
転機が訪れたのは 昭和39年。 24歳の時。
雑誌で 東京・赤坂に
日本有数の花柳界があることを知った。
「自分の力を試したい」
先輩芸者のつてで 赤坂で働き始めた。
時は 高度経済成長の真っただ中。
政財界の接待が 夜ごと行われる赤坂は→
300人の芸者が しのぎを削っていた。
間もなく 変なうわさ話を耳にした。
「必ず結果を出し 見返してみせる」→
育子さんは 人一倍 踊りの稽古に励んだ。
さらに力を入れたのが
客を楽しませるための話術。
客との共通の話題を持つため→
ゴルフや競馬などあらゆることを勉強した。
育子さんには
多くのごひいきが つくようになった。
時に 政界のトップ。
時に 国民的スター。
いつしか育子さんは 赤坂で
最も人気のある芸者の一人となった。
それは 昭和50年 35歳の時だった。

ごひいきの 社長の宴席に呼ばれた。
育子さんは いつもどおり
お酌と余興で動き回り→
社長が連れてきた女性客には
ゴルフ話で盛り上げた。
だが 帰りがけ
社長が先輩芸者に こう言い残した。
ショックだった。
一体 自分の何がいけなかったのか?
後日 先輩芸者に尋ねると
原因はゴルフの話だった。
お話も弾んで→
「じゃあ こういう時は こうした方がいいんじゃないですか」とかって→
その話やってたら…
決して失礼なことを言ったつもりはない。
でも 自分の発する言葉一つに
どこまで気を配っていただろうか。
もう一度 全てを一から見直そう。
育子さんは覚悟を決めた。
お座敷では 会話をしながらも→
客の細かな言動にまで注意を払うようにした。
踊りのうまい先輩芸者に頭を下げ→
指先の角度から目線に至るまで徹底的に細部を見直した。
さらに 着付けから化粧 歩き方。
朝起きてから夜眠るまで芸者であることを意識し続けた。
♪♪~
気が付けば あっという間に62年が過ぎたという育子さん。
来年80歳を迎える育子さんに
思いきって聞いてみた。
令和の時代も お座敷に立ち続ける。

育子さんは そう答えてくれた。
2月中旬。
この日 育子は芸者衆を集めある話し合いを行っていた。
うん 二日間やる。
毎年3月に赤坂で開かれる 春の大宴会。
20年以上 呼ばれ続ける この大切な席で
今年は何を踊るか。
「江戸まつり」とは 昔からある小唄。
その曲を使い オリジナルの新しい踊りに挑もうと言いだした。
男役と女役をたて
色恋の絡みを見どころとする。
仕草や表情に
いつも以上に高い表現力が求められる。
この踊りを 育子は
二人の芸者に任せたいと考えていた。
男役は 22年目の真希。
女役は 15年目の真由。
安心してお座敷を任せられる
実力のある二人。
だからこそ育子は もう一段上の
芸者になってほしいと考えていた。
新たな振付が完成した。
男女の色恋を表現する中でこれまでにない斬新な動きも加えられた。
小道具。
小道具。
男女の思いを伝えるのは 携帯電話。
本当だよ。
おもしろいでしょ。
稽古が始まった。
男役の経験が浅い真希は


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ikatako117

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ikatako117