Categories: 未分類

2019/05/21(火) 22:30〜23:20 プロフェッショナル 仕事の流儀「芸者として生きるということ〜芸者・赤坂育子」[解][字]

フォロワー水増しが続出。売買された3万人を追跡調査です。
東京・赤坂。→
この道 実に62年。
昭和・平成をひた走り 今なお現役。
お座敷での話を外に出すのは ご法度。
だが ちょっとだけ
思い出話を聞かせてくれた。
数々の大物たちを
とりこにしてきた→
花柳界の生ける伝説
赤坂育子 79歳。
今夜もまた 指名が入った。
うわぁ いらっしゃいませ。ようこそ。(拍手)
この日は 20年以上つきあいがある
企業の会長から→
部下たちとの親睦会に呼ばれた。
ありがとうございます。乾杯。
ありがとうございます。
フフフッ…。
料亭での宴席は さまざま。
仕事の接待や 祝い事など→
その目的ごとに 花を添えるのが
芸者の仕事。
この日は親睦会。 育子は
上着を脱ぎ リラックスするよう促した。
育子は お座敷に入った瞬間から
状況を把握し→
自分がどう振る舞うべきか判断していく。
芸者としての心得を こう語る。
この日 育子は 主役の会長を


引き立てながら 場を盛り上げた。
ハハハッ! 半分?
それ 優秀って言わない。
お座敷に欠かせないのが 余興。
若手の芸者衆が舌を巻く踊りは育子の真骨頂だ。
♪♪~
卓越した芸と こまやかな気遣い。
お座敷という特別な空間で
心ゆくまで 客の目と心を楽しませる。
赤坂から程近い場所に
稽古場を兼ねた自宅がある。
素顔は
とってもチャーミングな女性だった。
昔のお姐さんがいたら
いろんなことをやったら→
今日は ごめんなさい
見ないで下さい。
育子の自宅は 「置屋」と呼ばれる
芸者衆の事務所になっている。
現在 7人が在籍。
いずれも赤坂では名の知れた芸者たちだ。
昭和の初めは 東京に
1万人の芸者がいたという花柳界。
それも時代とともに下火となり
置屋も数を減らしていった。
そんな時代だからこそ 育子は
あえて昔ながらのやり方にこだわる。
すいません ご飯の用意
ありがとうございました。
いいえ 皆さん お疲れさまでした。


皆で昼食をとったあとは 稽古が始まる。
踊りは
日本舞踊 五大流派の一つ 藤間流。
育子は それに艶やかな仕草を加え
芸者らしい踊りへと磨き上げる。
腰 落として。
はっきり… ポン!
こうした芸事の追求と
長年の花柳界への貢献が認められ→
3年前 芸者として初めて→
旭日双光章を授与された。
グッと… こう返して。
育子は言う。
芸事を極めるだけでは
本物の芸者にはなれない。
大切なのは 生きる姿勢。
この日 ある宴席に呼ばれた。
はい。
おめでとうございます。
主催は 50年来ひいきにしてくれている
ホテル企業の会長。
自らの引退と
次期会長の就任を祝う宴席だった。
育子は 主催者の意図をくみ
まずは 次期会長をもてなしていく。
♪♪~
余興に用意していたのはめでたい席で踊る…
紅白の獅子が 新たな門出を祝う。
この日の育子のもてなしは宴席の前から 既に始まっていた。
テーブルに置かれた季節を彩る花々。

実は…。
こうした気遣いができるのも
日々の積み重ねにほかならない。
育子は自宅のベランダで
植物を育てている。
毎朝 必ず 花を愛で→
四季の移ろいを肌で感じるよう努めている。
ねえ。
こまやかな気遣いは できて当たり前。
毎日の新聞やテレビのチェックを

Page: 1 2 3 4

ikatako117

Share
Published by
ikatako117