興梠≫制度的な矛盾なんですね。
武田≫これからも
注視していきたいと思います。
6年後 700万人にもなるという。
何も分からなくなるのでは…。
家族の関係が崩壊するのでは…。
語られてきたのは 不安。
しかし 認知症のお年寄りと向き合い
笑顔を取り戻してきた→
プロフェッショナルたちがいる。
彼らの目は 輝いていた。
今夜は 認知症ケアの最前線を
切り開いてきた3人を 一挙紹介。
「その人らしさ」を奪わない
ケアの極意を見つめる。
最初のプロフェッショナルは…
家庭的なグループホームで注目を集めていた。
認知症介護のエキスパート
大谷るみ子の職場は→
福岡・大牟田の住宅街にある。
大谷の仕事場は認知症のお年寄りが暮らす→
「グループホーム」と呼ばれる
介護の施設だ。
ここで責任者のホーム長を務める。
あら~!
グループホームは 認知症のお年寄りが
自宅のような雰囲気の中→
少人数で共同生活を送る場だ。
入居者は 27人。
かつては 徘徊や暴言などの行動が目立ち
家族だけでの介護は難しいと ここに来た。
認知症を抱えながらも→
穏やかに暮らせるようサポートするのが大谷の仕事だ。
21人のスタッフと共に
24時間体制で お年寄りを支える。
トントントン。 ほら ねえちゃん。
認知症は 脳が萎縮して起こる病気だ。
記憶力や理解力が低下し→
コミュニケーションをとるのが難しくなっていく。
根本的に治す手だては まだない。
認知症になってさまざまな能力が失われても→
暴れたり 大声を上げたりするのは
心の苦しさの表れだと考えられている。
一人のお年寄りが
呼びかけに全く応じなくなっていた。
食べ物も口にせず
スタッフは困り果てていた。
担当者から相談を受けた大谷。
心の内を探る時一つの流儀を大切にしている。
僅かに避けるしぐさをした。
認知症が進み 理解できることが少なくなってしまったため→
自分の中に逃げ込んでいると判断した。
体に触れながら耳元で声をかけ続ける。
笑顔が浮かんでいた。
大谷には 一人気になっているお年寄りがいた。
この半年 昼夜を問わず
「徘徊」が目立つようになっていた。
自宅に帰りたいと
しきりに外へ出ようとする。
保子さん 保子さん。
大谷は 認知症が進行し不安が強まっているためだと考えていた。
大谷たちは お年寄りの徘徊に
とことんつきあう。
そして歩きながら 言葉に耳を澄ます。
保子さんは 徘徊する時 いつも2人の息子を病気で亡くした話をする。
その後 夫にも先立たれた。
大谷は 苦い記憶をできる限り話してもらう。
言葉の一つ一つを
ある思いをもって受け止める。
歩き始めて30分。
保子さんが 前向きな言葉を口にした。
はい どうぞ。
ただいま~。 帰りました。
おかえりなさい。
おかえりなさい。
はい 行きましょうか。
たとえ 認知症が進んでもその心は生きている。
心に正面から向き合えば
穏やかな日々を取り戻せる。
それが 認知症介護のエキスパート
大谷るみ子の信念だ。
放送から10年余り。
心と向き合うケアは 今も続く。
保子さんは今 94歳。
日中の大半を 眠るように過ごす。
大谷さんの呼びかけには
必ず表情で応える。
保子さんが 50代の時に書いた
「年輪」という文章がある。
それを読んだ大谷さんは 保子さんを
慈しむ思いが より強まったという。
「年輪の重みとは
決して知識や年数のことではない。→
それは
努力というものの積み重ねなのだ。→
平凡でもいいから
一生懸命 努力しよう」。
♪♪~(歌)
今 大谷さんが大切にすること。
それは それぞれが歩んだ人生の