言葉としては分かります。
で 「富」なんですけれども→
マルクスは とても広い意味で「富」を捉えているということで→
空気や水 そして森 公園や図書館→
コミュニケーション能力なども含めて→
「社会の富」だと。
私たち多分 一般に「富」って聞くと不動産とか お金とか→
そういうものを
思い浮かべちゃうんだけれども→
それは 私たちが富と商品を
混同してしまってるからで→
水が きれい
森が たくさんあるとか→
あるいは もうちょっと現代で言うと
公園がある 図書館があるとか。
富として みんなで共有して 管理して
発展させていくべきだというふうに→
まあ マルクスは考えた。
ところが 資本主義社会を見てみろと。
ありとあらゆるものが
商品になっていってしまう。
あ ほんとだ。 水 買う。
有料で入る公園なんかいっぱい ありますもんね。
最近は 公園まで
有料になってるという。そうですよね。
歴史的に見れば こういったものは→
商品の お金のやり取りのね対象になってこなかった。
何でかっていうと
お金のやり取りの対象にしてしまうと→
お金がない人は そこから
はじき出されちゃうわけですよね。うん。
確かに お金を持ってれば 楽しいけど→
持ってないと 非常に不自由な世の中に刻一刻となってますよね。
そうなんですよ。
より なってますよね 今ね。
一見すると 今の社会って何でもあるし
コンビニとかも行けば 何でも安いし→
世界中の物 何でも買えるけど
それは 商品ベースの話であって→
富で考えると 僕らって そんなに
もしかしたら→
豊かになってないかもしれない。
そうですね。
さあ それでは 「富」が奪われてしまった
歴史を見ていきましょう。
社会の富が商品化していく きっかけ→
それは 15世紀のイギリスに遡ります。
当時 特定の場所を除き
誰もが使える共有の土地がありました。
農民たちは
そこで畑を耕し 暮らしていたのです。
しかし
毛織物工業が発達すると→
羊の毛が儲かると知った領主たちが
農民の土地を奪い 牧場にしてゆきます。
柵で 土地を仕切り
牧場にしていく様子から→
「囲い込み」と呼ばれます。
耕作地を奪われた農民は生きるために 都市部へ行き→
賃労働者へと なっていきました。
例えば じゃあ その公共の土地でね自分が食べるもの 野菜作って→
食べられっから いいじゃんって
やってた人が→
それ 取り上げられるじゃないですか。
で 取り上げられて 都会に行ってある意味 労働→
しかも 一番お金の 少ないお金しか
もらえない労働者になった時に→
この 今まで作ってた量の小麦を買う
っていうことが 結構 大変な作業で。
そうなんです。
労働者たちは どんどん どんどん→
自分で作れなくなっていく代わりに
市場で買わなきゃいけなくなる。
そうなってくると
社会の まさに「富」が→
どんどん どんどん
商品になっていくわけですよね。
確かに 何でしょうね 富っていうか→
本当の意味での裕福な暮らしでは絶対ないですね。
そうですね。 豊かさはなくなって。
豊かではない。 そうだね。
でも 資本主義からしたら→
さっきも言ったように都合がいいわけですよね。
今まで 誰も自給自足だから
買ってくれなかった労働者たちが→
いろんなものを
買ってくれるようになっていくので。
企業は そういう意味で
成長していくけれど→
労働者たちの食卓は 貧しくなっていく。
何か 空き地で みんなさまざまな遊びしてた時代と→
そこが買い取られて
フットサルコートになった時に→
もう フットサルを お金を出して
やるということしか→
もう そこでは できないっていう
緩い感じでは 何か分かる。
まさに それが現代起きている
囲い込みだと思いますよね。
もともとは