今は すごい おかしいと思いますけど。
だから マルクスって それを
解放してくれる力があるんですよね。
私たちが 当然と思ってることが→
実は よくよく考えるとそんなに当然ではないよっていう。
当然じゃないんだったら
実は変えられるでしょ。
他にも
選択肢があるかもしれないですね。
そういう考えが
できるようになるわけですね。はい。
この「物象化」ですが マルクスは
奇妙な表現を使って 説明しています。
ご覧下さい。
人と物の立場の逆転 物象化。
マルクスは この現象を
テーブルを例に説明します。
木製のテーブルを
自分で作ったとしましょう。
木材は 加工されて テーブルになっても
見たり 触ったり 匂いを嗅いだり→
感覚で捉えることができます。
食事や読書にも使える「使用価値」のある存在です。
しかし テーブルに値段をつけ→
「商品」にし 売り物にした途端→
テーブルは 「価値」で
人間を振り回す存在に変化します。
感覚や知覚を超え→
人間の感性では捉えられない超感性的な物に転化するのです。
「商品」となったテーブルは
ひとりでに踊りだし→
有無を言わさず
人間を ダンスに巻き込み 翻弄します。
資本主義で生きているかぎり→
テーブルの奇妙なダンスにつきあわなければいけません。
価値に振り回され
倒産や 失業することもあります。
それでも 人間は
商品を作り続けてしまうのです。
これって こうなってくると
その 本当の適正価格って何ですかね。
どう決まるべきなんですかね。
それは 本来の価値というのが→
どれぐらいの労働時間が かかったか
っていうことで決まるのが→
価値なんですけれども→
必ずしも その価値どおりに物は売れないんですよね。
せっかく作ったのに 全く売れない。
もう 倒産だあるいは手に入らないから→
もう 例えば 病気になっても
治らなくて死んでしまうとか。
そういう 物が買えるか買えないかとか
売れるか売れないかということに→
私たちの幸福とか生活というものが
大きく左右されてしまう。
本当は ただの物なわけですよね
自分たちが作ってる。
ところが それが自分たちを むしろ
振り回すようになっていくという→
この逆転現象が あの 「物象化」なんです。
では ここで マルクスの言う「社会の富」をもう一度 見ておきましょうね。
これらの「社会の富」が
商品になってしまうと→
どういうことが起きると
考えられるんですか?
そうですね まあ 図書館で
今 非常に問題になってるのが→
非正規の社員の人 非正規で働いている
人たちが 非常に増えている。
1999年から 2018年にかけて→
何か 倍以上ですよね。
やっぱり 今の社会っていうのは→
どんどん効率化 コストカットという→
そういう側面から
一番 手っとり早いのが→
それまで正社員だった職員を
非正社員に置き換えていくと。
ところが それをやってしまうと
もう最近だと→
図書館で働きたいと思うような人たちも
減っていくかもしれない。
なかなか 知識がないとできないような
仕事っていうのの→
質が どんどん下がっていってしまう。
結果として 社会の富が貧しくなってしまったということの→
一例なんじゃないかなと。
何か その 公営だからコストカット意識がないという問題は→
当然 あるじゃないですか。
それに対して 民営でかなり効率化されました みたいなこと→
あるじゃないですか。
多分 どっちにも問題点があるんだと思うんですけど→
コストが少ないっていう意識は→
多分 本の種類とかも減ってくと思うんですよ 今後。
それで いいのかっていう。
やっぱり 必ずしも 市場での競争とかお金儲けということと→
なじまないものっていうのは
本来 たくさんあるんです。
何でかっていうと 商品と富は別物だから。
富を 必ずしも 商品として管理することが適してないものというのは→
たくさん存在するんですよ。