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2021/01/06(水) 20:15〜20:42 サンドのお風呂いただきます「軽井沢 IKKOさん涙の豪華別荘 編」[字]


放課後は 毎日…
私の こう 居場所が
母の美容室の片隅にね ず~っと座って→
母が こう やってるのを見た時に→
ああ 何か 男性美容師っていうのがそのころ少しいたんです。
みんな女っぽかったんです

当時のね 男性美容師たちが。
ああ だったら ここだったら
生きていけるかもわかんない 私。
女の人も喜んでくれるし
きれいになると。
ああ この道だと思ったのが 小学校の…。
小学校ん時に もう そう思ってたんすか?うん。
福岡の美容専門学校を卒業後
横浜にある高級美容院に就職。
下積みを経て…
すぐに その才能を買われ→
雑誌の表紙で 眞野あずささんや
檀 ふみさんのヘアメイクを担当。
「女優メイクのIKKO」と呼ばれたそうです。
眞野あずささんのねあの 着物の時っていうのは→
私の第1作なんですよ。
あ これ第1作なんですか?
そうなんです。 当時 とにかく
「家庭画報」っていう雑誌と→
あとは 「婦人画報」で→
「美しいキモノ」とかいろんなものが あるんですけど→
その婦人誌っていうのは
12か月 大体→
女優さんたちを


表紙に使うんです どこも。
そうすると
12か月の中に入ってる→
女優たちのメイクをしてる
っていうことが…
え~!
それで これから 意外と→
雑誌の表紙が ウワッときたんですよね。
はぁ~。
だから ヘアメイクとして
頭角を こう 出していくっていうのは→
下積みが長かったから
割と早かったような気がするんです。
はぁ~。 じゃあ ほんとに
大きなキッカケの雑誌 本ですね これね。
(富澤)すごいっすね。
まあ やりたいことを 少しずつ→
夢を かなえていけたのかなって
思ってるんですよね。
いや そういう面は
正直 知らなかったので。
バラエティーでね だから。
(笑い)
さあ そしてですね メイクアップアーティストとして
独立されます。 しかしですね…
そうなんですよ。
売れっ子ヘアメイクとして激務をこなしていた IKKOさん。
当時 心を支えてくれていたのが…
それは 両親に初めて…
テレビに出させて頂くようになった時に

膝丈ぐらいのスカートをはいて→
ピンヒール履いて もう 出始めたから→
母にも言わなきゃいけないんじゃないかなそろそろっていうので。
これは早く言っとかないと
テレビ見て倒れたら困っちゃうから。
母たちに こう 家に呼んで お正月。
ご両親?
うん。 その時に もう…
会わせちゃう。彼氏を?
彼氏を。
彼に もう いてもらったんです 奥に。
それで あの ちょうどね…。
大丈夫っすか?
いや それでね…。
荒治療?荒治療だけど そう。
もう これしかないなと思ったの。
はい。
それで ちょうどソファーに座った時にね
母たちに→
「実は ちょっと会わせたい人が
いるんだけど」って言って→
彼を ちょっと
「私の彼なの」って言ったら→
父が もう 何か
すごい顔になっちゃって。
ブワーっと
こうなっちゃったんだけど→
一気にワッと下を向いて
もう それから話さなくなっちゃって。
それで その父の様子を見た瞬間に→

私も当時 重度のパニック障害でねひどかったんですよ。 それで…
え~!
父も倒れそうになるし→
今度は私が本当に倒れちゃって。
そうそう そうそう。「どうすんだよ? 俺」って。
それでね もう 父は
気が付いた時には帰っちゃった。
え~!
ショックだったっていうかびっくりしたんでしょうね。
だけどね 母は違ったんですよ。

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ikatako117