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2021/01/09(土) 19:30〜20:15 ブラタモリ「天橋立〜なぜ人々は天橋立を目指す?〜」[解][字]


タモリさん 柿はお好きですか?
え?
この道?(河森)そうなんです。
当時は ひっそりとしてなかったと

思いますね。
そう。 草木に覆われた この道。
これこそが地図で斜めに交わっていた道なんです。
はい。
じゃあ 行きましょう。
おっ!


おお…。よいしょ よいしょ。
はい。
目の前に現れたのは→
高台にきれいに配置された
礎石。
建物の基礎となる石です。
大きな建物ですね。
更にですね 右手を見て頂きますと…
ありますね あそこに。
何だろう?
おっ おお… せ 正解です。
あ 正解ですか。
(笑い声)
はあ~ ここにあったんですか。
そうですね そうなりますね。
「国分寺」とは 聖武天皇が
仏教による国づくりのために→
各国に建設を命じたお寺。
そして かつて ここには→
丹後国の国分寺が建っていました。
国の中心 国分寺は→
高台の場所に
南向きに建てられます。
先ほどの斜めの道 実は
真南を向いているんです。
実はですね…
ご存じですか?
はい そうです。
(河森)国宝になっております。
(河森)まさに そこでございまして→

今 私たちが立ってる場所こちらの「国分寺」になっております。
ここ?
(河森)はい。
あっ 五重塔! えぇ~。
だから…
(河森)そういうことですね。
じゃあ…
まさに そういうことだと思います。
ほぉ~。
(河森)栄えていたと。
現在 この地域の都市機能の中心は→
宮津駅のある 天橋立の南側です。
しかし 古代に遡ると→
実は 北側が中心だったんです。
確かに 雪舟の絵を見ると→
さっき歩いてきた道に沿って
多くの建物が並び 栄えていますねぇ。
つまり かつては
ここ 天橋立の北側こそが→
多くの人々が目指す場所だったんです。
いやぁ 最高です。
南から 北から。
そうですね。
これ…
(河森)天橋立ですか?うん。
(河森)おぉ~。
(河森)ではですね…
は?
え? 違うんですか?
あ そうですか。

景色さえ良きゃいいじゃんね?
はい。
いいじゃないか それで。
続いて タモリさんは→
国分寺の跡から およそ1kmの所にある海沿いへ やって来ました。
なぜ 丹後国の中心が
天橋立の北側に築かれたのか。
この場所で 解き明かしましょう!
もう 海 見えますね そこね。はい。
あ 地名。
地名。
地名?
…って書いてありますが。
あ 「溝尻」。
(河森)これもですね…
…というふうに考えられています。
へえ~。 ああ そうですか。
ああ 行きましょう 行きましょう。
でも…
道を歩いてるとですね→
あまり そういった雰囲気はないかもしれないですね。
これですか?
はい。
もう ほとんど流れてませんね。
今 かれてしまってるんですけども…
海に注ぐ所 ということですね。
そうですね。
(河森)はい。 もう この先が
すぐ河口になってますね。
タモリさんが見つけた


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