54年か。
(笑い声)
今日の舞台は 静岡県の下田。
太平洋に突き出た伊豆半島の
先端にあります。
訪れる観光客は 年間290万人。
情緒あふれる古い町並みが人気です。
おっ 来ました。 何でしょうか。
今日は何でしょう。
あ~ でも あるかもしれません。
当たりました。
(拍手)
でも なぜでしょうね。なぜでしょうね。
まあ でも いい港ですよね…。
あっ!
いいですか?
生まれも育ちも下田。
生っ粋の「下田っ子」の
近持孝一さん。
市の観光課で 長年
地元の歴史を調べてきました。
どうも よろしくお願いします。
(近持)よろしくお願いいたします。
今日 風が強いものですから
ちょっとキャビンの中で…。
ああ そうですか。
なぜ下田が「開国の地」となったのか。
その鍵を握るのは この人。
やはり タモリさんも知っていたペリーです。
これ 「水師提督ペルリ」って
書いてございますけれどもね。
そうなんです。
(笑い声)
そうですよね。
日本人にとってペリーは怖かったんですかねぇ?
まずは 下田にやって来た
いきさつを→
振り返ってみましょう。
それで日本 開国しなさいよと。
で その返事を1年後に…。
そうそう また来るって言って 帰ったんですね。
翌1854年
再び日本にやって来たペリーは→
幕府との間に
日米和親条約を結びました。
これによって
下田は すぐに開港。
箱館は 翌年に開港する事が
決まります。
条約の調印から僅か3週間後
ペリーは下田に来航。
「開国の地」となったんです。
実は 最初にペリーが開港を要求したのは→
浦賀や神奈川などの5か所。
下田は含まれていませんでした。
しかし幕府は
ペリーの要求を退けて→
下田を指定したんです。
そうですね。でも ペリーからすれば→
怒っても…。
それがこの文章なんですけれども→
和訳したものがありますので
めくってみましょう。
これですね。
そうですか… え~?
え~?
(笑い声)
(笑い声)
タモさん 随分 疑ってますね~。
でも もともと希望していなかった
下田を→
ペリーが これほど絶賛したのには
訳があるんですよ。
その理由が 実は 下田の町の中に
隠されているんです。
実際 天気良ければ
行ったんですけれども…
そうでしょうね
この風 危ないよね。
「ブラタモリ」! 今日の舞台は…
日本中を驚かせた ペリーの来航。
以来 160年を超える
アメリカとの関係を→
見つめてきました。
でも なぜ下田が「開国の地」に選ばれたんでしょう?
タモリさんが ブラブラ歩いて
解き明かします。
今日は 伊豆・下田で
「ブラタモリ」!
♪♪「ハロー ハロー お元気?」
♪♪「今夜 なにしてるの?」
♪♪「TVなんか 見てないで」
♪♪「どこかへ 一緒に行こう」
♪♪「だからもう I love you so」
♪♪「I’d love to be backin your heart」
♪♪~
黒船を降り町の中心部に向かったタモリさん。
まずは ここから→
下田が「開国の地」に選ばれた理由を探ります。
こちらに…
現在地が…。あっ これです 川ですね。
今 この辺 どっかいるわけですか。
はい。下田のね 昔の。
実は 江戸時代の下田の様子から→
ペリーが この町を気に入った理由が分かるんです。
ちょっと
右手にも見えてきましたけど…。
これ ちょっと古いですね。
あったわけですね。
あっ ご存じでしたね。
あぁ~。へえ~。
横へ行くと この家の大きさが
分かるような…。
お~ でかいですね。
町の至る所に残る 立派な…
厚く盛り上がった漆喰は
お金持ちの証しでした。
番付 これは何の…。
こちらは ペリーが来る14年前に作られた 全国の繁華街の番付。
最高位の「大関」には
京都と大阪が書かれていますね。
ん?
ん?
おっ。
あ~ 発見されました。
同格 入ってますね。
思うんですけれども。
まあ… まあ そうでしょう。
(笑い声)
タモさん まだ納得できません?
でも 町の繁栄はペリーにとっても好都合でした。
ペリー艦隊の記録にも
次のように記されています。
商人たちが盛んに取り引きを
行っていた下田では→
航海に必要な燃料や食料を
スムーズに手に入れられたんです。
この先に…
行きましょう。よろしくお願いします。
これも結構古い…。
あるんですね。
うん。
これはね… あ そうか。
(笑い声)
確かに いろんな色ありますけど。
そうですね。
実は この石もペリーと深く関わってくるんですが…。
それは また後ほど!
あっ そこですか!行きましょう。
おかしいです。 あれ 初めて見た。
何ですか あれ。
まあ あの…
町なかに突如現れた不思議なクランク。
これこそが 江戸時代の下田が
栄えた理由を知るための→
重要な手がかりなんです。
(笑い声)はい そうなんです。
じゃ こっちが
新しいって事ですか?
そうなんです。
へえ~。
そう 下田はクランクを境に
出来た時代が違うんです。
もともとあったのは このエリア。
注目すべきは江戸時代につくられた新しい町。
この新しい町のおかげで→
下田の町は急速に発展したんです。
そうなんです。
この中にヒントがございます。お分かりになりますでしょうかね。
(笑い声)
う~ん…。
ありますね。
(笑い声)
「御関所」と書いてありますね。
あ~。そうなんです。
江戸時代 幕府直轄の
「海の関所」が置かれた下田。
新しい町に住む
たくさんの役人が→
危険な人物や武器を
江戸に入れないよう→
チェックしていました。
江戸に入る船は全て→
必ず一旦 下田に立ち寄るよう
定められました。
そのにぎわいは→
「出船入り船3000艘」と言われるほど。
「海の関所」が下田に繁栄を生み→
ペリーもお気に入りの「開国の地」になっていったんですね。
なんと この「海の関所」の痕跡が
今も残っているんです。
行ってみましょう!
いい浦ですね。はい 景色もいい。
そうなんです。
あれ 古そうですね。ええ そうです!
これが御番所の
敷地内になるんですけれども→
もう 当時の施設は
何も残ってないんですけれども。
これ どっかのお宅なんですか?
(笑い声)
実は この関所とつながりが深い
ある伝統行事を見ると→
ペリーが下田を気に入った
更なる理由が分かるんです。
今から それを
お見せいたしたいと思います。
はい。
はい。
(笛と 掛け声)
(笛と 掛け声)おっ。
(笛と 掛け声)
へえ~ そうなんだ。
お~。
おぉ~!
(笛と 掛け声)
おぉ~!
毎年 お盆の2日間 開かれる
下田の夏祭り。
江戸時代の初め
当時の下田奉行が→
住民の心をひとつにするために
始めたと言われています。
神輿は祭りの主役。
特別に運んできて頂きました。
紹介したいのは…
(笑い声)ただのお祭り好きじゃない?
今日 皆さん 下田の方々が
担いで下さってるけど→
ちょっと…
そう この神輿を担ぐルールこそ→
下田の人たちの気質を
よく表しているものなんです。
ちょっと読みにくいので…。
はい。
お神輿が「宮入之儀」…
宮入りする時ですね。
「担ぎに出候ものは勝手次第→
居合わせのものにてあい勤めべく」と。
あ~ そうですか。
そうなんです。
(近持)ただ この下田の場合は…。
OKなんですね。
「海の関所」のおかげで 下田には→
日本中から人が集まりました。
通りすがりの旅人でも
分け隔てなく→
もてなす文化が生まれたんです。
ペリー艦隊はこう書き残しています。
う~ん ペリーさん
気に入ってますねぇ。
そうなんです。
じゃあ 今から…
そこへ行ってみましょう。
行きましょう。
続いて タモリさんが
向かったのは→
観光名所となっている
ペリーロード。
実際に
ペリー艦隊が行進して→
下田の人々と
出会った場所です。
(近持)この町は 下田の中でも
ちょっと特殊な場所なんですね。
この辺になると その特徴が
よく現れてきますけれども。
そうなんです。
ちょっと…
(笑い声)
ぴったりです!
この柳 川ね。
柳と その向こうの町並みですね。
この1階の出窓
そこなんかも特徴があるんです。
あ~ ほんとだ。
ちょっと粋な ねえさんが。
おねえさんたちが見てるわけです。
「寄ってらっしゃい」ですとか。
(近持)そこをペリーさんが
歩いてきたって事は…。
(笑い声)
ペリーさん。
しかも あれですよ
長い旅をしてきて… ね?
ほぼ1年ですからね。
しかも周り ず~っと見てると…
(笑い声)
ここへ来て…
(笑い声)
ペリー艦隊は 下田の人々とどのように ふれあっていたのか。
実は この先のお寺に
貴重な資料が残されています。
行ってみましょう!
(笑い声)いや…。
どっちの「せい」か
分かりませんけれども。
ペリー艦隊の
受け入れ先となったのが→
この 了仙寺。
この寺を拠点に およそ2か月間下田で過ごしました。
(近持)ごめんください。
こんにちは。 お邪魔します。
お邪魔します。
はい どうぞ。
ここには ペリー艦隊が使っていた
本堂も残っています。
お~ ここでですか。
はい。
その時は… 今は いろんなものが
仏具がありますけれども→
やはり これがあったら…
そうなんですか。
へえ~!
…というぐらいの事は言ってたようですね。
まあ 結構いい人だったようです。
(笑い声)
下田の人々への気遣いまで
見せたペリー。
一体どんな日々を
過ごしていたんでしょう。
(松井)ここに書いてありますが→
「米利幹人下田港碇泊図」と書いてありますね。
アメリカ人
どんどん上陸をしてきます。
そうすると…
(松井)普通に洗濯…いわゆる生活の場が→
もう 町なかにある
という事ですね。
それから これ。
(松井)そうですね。
(松井)だから まったく こう…
(松井)という事ですね。→
自由にやってると
どうなるかというと こうですね。
こんな事に。
(笑い声)
(松井)これ 読んでみて頂くと…。
初めて出会う外国人なのに随分フレンドリーですねぇ。
(松井)その中にアメリカ人もいた
というところだと→
思いますけれどもね。
どんな旅人も迎え入れる心の広さ。
下田の人々との出会いは→
ペリーにとって予期せぬ喜びだったんでしょうね。
今度は 下田の中心部から
3km離れた→
須崎半島の先端に
やって来た タモリさん。
実は ペリーが気に入ったものは
まだまだ あるんです。
ここ いいとこですね。
ちょっと風が強いですけれども。
はい ここで ある方と
待ち合わせしてますので。
これは どうも。
どうも こんにちは。
伊豆半島ジオパークの鈴木です。
伊豆の地形や地質に詳しい鈴木雄介さん。
「熱海」や「天城越え」の
回でも→
案内して頂きました。
まあ そうした事が…
見に行きたいと思います。
行きましょう。
なんと この恵比須島から
見える景色に→
ペリーが下田を気に入った理由を
知る手がかりがあるんです。
お~!
あそこに伊豆大島が→
南側3分の2ぐらいが
見えてますね。
利島が見えます。 新島。
(鈴木)あそこに神津島が…。神津ですか。 見えますね。
あっ 難所なんですか?
ぶつかったりするんですね。へえ~。
タモリさんは 下田沖で→
船 乗られた事とかってありますか?
そこを…。
(鈴木 林田)夜中に?
え~!
ここで見てもらいたかった事の1つ目が…
「黒」何とか「川」。
(鈴木)黒瀬川。
「又クロシホトモ云」。
「舟行ハナハタカタシ」って書いてありますね。
そうですね 「難し」。
難所の「難」ですね。
太平洋を流れる 黒潮。
その速さは世界一。
この辺りは 島や岩礁が多く→
日本沿岸に近づく船にとって難所だったんです。
ありますね。 こう…。
はい ず~っと…。年によって違う。
その時の流れが こうなります。
うぉ~! こう。
はるかに この紀伊半島から
ずっと南の方に下りていきまして。
それから北上してるんですか。
なぜか北上してるんですね。
(鈴木)はい そうですね
そのとおりです。
模型をご用意しましたので
見て頂きたいと思いますけれど→
今いるのは この先端ですね。
この辺ですね。
点々と こう 島があるでしょ。
あります。
伊豆半島の南には
海底からそびえる→
4000m級の火山が→
2000km以上も続いています。
これが黒潮の行く手を遮ります。
更に 気温や風の変化が加わって→
流れが さまざまに
変わってしまいます。
この やっかいな黒潮を
乗り切るために→
好都合だったのが
下田の港だったんです。
囲まれていますから。
太平洋を航海するためには→
どうしても乗り越えたい
海の難所。
そのための避難場所として→
下田はうってつけだったんですね。
更に この恵比須島には
もう一つ→
ペリーが気に入った
意外なものが見られるんです。
行ってみましょう!
あぁ~ ああ… ああ!
うん なるほど!
(鈴木)何となく分かってきました?
(鈴木)
さて ここら辺で どうでしょうか。
そうですね 正解。
(笑い声)
天城の所でも 実は 凝灰岩
何度も出てきたんですね。
あっ すいません。
いえいえ。
私の教え方が…。
(笑い声)
林田さん ここで しっかり
おさらいしておきましょう!
凝灰岩は 文字どおり
灰が固まった岩。
海底火山から噴き出した火山灰が
積もって出来ました。
この石は「伊豆石」と言われ→
恵比須島のものは美しいシマ模様が特徴なんです。
おっ いいですね。
これは 中に水が入っているんですけれども…
噴火?
じゃあ 噴火を起こします。
ドカーン。 ここが海底です。
一回 噴火を止めます。そうすると…
さあ もう一回。
ドカーン。
やっぱり
黒いのは すぐ落ちますが→
白いのは ふわふわふわ~っと。
あの 見た 建物のね。
そうですね。
外壁なんかに使われてたでしょ。
あっ 確かに。
あ! あ! あ!
だから あんな
シマシマだったんですね。
それが まあ 粒の粗いのも
いろいろ組み合わせるから→
いろいろなシマシマが
あるんですね。
石材として重宝された
美しい伊豆石。
実は ペリーも
大のお気に入りだったようです。
仲間だったんだ。 へえ~!
ペリーさんが持って帰った石が実は ある所に使われています。
え~?
え?ここです。
そのうちの220段目という事で→
4分の1ぐらいのとこでしょうかここら辺に…。
ちょっと よく分かりませんけど。
初代アメリカ大統領の功績をたたえるため造られた→
ワシントン記念塔。
世界各地から集めた石が使われています。
ペリーが持ち帰った伊豆石は
この中に。
下田から切り出された事が…。
ほら!しっかり刻まれていますねぇ。
という事で ここに 喜んで…
だから 建物に使われてるこの石は何だと思ったんでしょうね。
で 何かお土産に差し上げたいって
言ったら シマシマ石をくれと。
今 集めてる途中だからと。
という事で 持って帰ったんだ。
あ~ 確かに!
(笑い声)
(鈴木)
そこに結び付きますか!
(笑い声)
繁栄した町 優しい人々。
黒潮から避難できる天然の良港に
美しいシマシマの石。
ペリーも大満足だった下田は→
本当に「開国の地」にふさわしかったんですねぇ。
しかし その栄光は
長くは続きませんでした。
ペリーが下田に来てから5年後
開港地は横浜に移転。
下田は
その短い役割を終えました。
ところが! その後も 下田には→
日本の玄関口であり続けている場所があるんです!
というわけで タモリさん
再び 下田港に戻ってきました。
あっ こんにちは。
≪こんにちは!
第三管区海上保安本部の
高瀬と申します。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日はですね あちら…。
はい。いいですね!
いいですね!
ありがとうございます!
タモさん
何だか興奮してますねぇ。
船で行くこと 30分。
下田の沖合 約10kmの神子元島を目指します。
結構 この辺り 岩が多いですね。
だから 釣り場としてはね。
あっ なるほど。
こういう所が よく釣れる…。
よいしょ。
おっ こっから自然の階段だ。
ほんとですね。
すごいですね。きれいな… 灯台ですね。
これこそ タモリさんのお目当て
神子元島灯台。
高さ 23.3m。
建てられたのはなんと明治3年です。
すごいですね。
そうなんですね。
灯台の どんなところが
好きですか?
(高瀬)そうですね。
実は この灯台こそ開港地が横浜に移ったあとも→
下田が日本の玄関口であり続けた
理由なんです。
一体どういう事でしょう?
こちらの方 見て頂きまして…。
これ 神子元島がどこか
お分かりですか?
この辺ですか。
はい そうです。
で 横浜は?
横浜 ここですね。
こう出て行く。
はい。 そうすると?
切るとこですね。
実際の航路を重ねてみると→
確かに 全ての船が
方向を変えていますね。
東京湾を目指す船を
最初に出迎えるのが→
神子元島灯台なんです。
今も 船が走ってございますけどもあちらの方ですね。
ちょうど…
「来たね!」 フフフッ。
「切って こっちへ」。
「日本だ」って。
外国船を迎え入れる
最初の道しるべ。
海の難所を乗り越えるという
下田の大切な役割は→
少しも
変わる事がなかったんですねぇ。
神子元島灯台は
もちろん 今も現役。
その内部を 今回 特別に
見せてもらえる事になりました。
おぉ~。
おぉ~。
入っていいですか?
どうぞ どうぞ。
うん?
はい。
はい。
へえ~。
ここは…
ペリーの愛した 美しい岩肌は→
明治に入ったあとも
ここで活躍していたんですねぇ。
一番上まで
上ってみましょう!
よいしょ…。
よい~しょっ!
あっ 違うんですか。
へえ~。
こっから こう
キィ~ッときて終わる。
で また こう
キィ~ッときて終わって→
あとは 真っ暗な状態。
確かに! そうですね。
電球 このくらいの明るさで。
あのね 意外と…→
意外と ちっちゃいでしょ。
へえ~。
およそ150年もの間
太平洋を照らし続けてきた灯台。
外国と日本をつなぐ
海の道に→
下田は 今も
光を放ち続けています。
今日は
「なぜ下田が開港地となった?」→
という観点で テーマで
見てきて頂きましたけれども→
いかがでしたでしょうか?
もう よく分かりました。
(近持)ありがとうございます。
(近持)そうですね。
そして…
どうもありがとうございました。ありがとうございました。
♪♪「未来の あなたに」
♪♪「幸せを 贈る」
♪♪「記憶と 想い出を」
♪♪「花束に 添えて」
♪♪「ひとときの 夢を」
♪♪~
2018/07/17(火) 23:55〜00:40
NHK総合1・大阪
ブラタモリ「#107 伊豆・下田」[解][字][再]
ブラタモリ、静岡県の下田へ!伊豆半島の先端の小さな港町が、どうして最初の開港地となったのか。タモリさんが下田の町と海を巡って、意外な歴史を解き明かしていきます。
詳細情報
番組内容
ペリーがくる前から大切な港だったという下田。その秘密を解き明かすカギは、なまこ壁の建物が立ち並ぶ街角の「クランク」にあり?そして実はペリーも大のお気に入りになったという下田の町。その理由を探るタモリさんの目の前に、なぜか勇壮なおみこしが…!下田の夏祭りに隠されたヒミツとは?そしてタモリさんが憧れの無人島へ上陸!下田から日本の海を照らし続けた現役の灯台に潜入、そこでタモリさんが見たものとは!?
出演者
【出演】タモリ,林田理沙,【語り】草�g剛
ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化