そういうの得意でしょ?いや いや いや。
そういう仕事じゃないんですか?
表面的なコミュニケーションがたくさん ありますので。
その場その場で変えても。
それ ばれたりしませんか 何か。
ほんとに 何か興味ないのに→
興味 持ってくれてるふりしてるんだろうとかなんか→
そういう感じでは。
確かに たまに寝そうになってる事がありますね。
駄目じゃないですか。
言っていいんですか?
ただ やはり基本は 目の前にいる
相手を気持ち良くするみたいな。
やっぱり それしかないな。
やっぱ 他者がいて自分がいるので…
…というのが
結構 考えてるとこですね。
でも 山本さん 研究者的に
コミュニケーション能力って 今→
どんな感じで
考えられてるんですか?
例えば コミュニケーションって
2つ 種類があると思うんです。
1つは
お互いに分かり合うために→
歩み寄ったりとか
自己開示したりとか…
もう一方は
戦略的なコミュニケーションで→
相手を操作したりとか 相手に
好きになってもらったりとか→
相手を操ったりするっていう→
そういう コミュニケーションもあったりして→
コミュニケーション能力とか
コミュ力っていうふうに→
「力」っていうふうに付けると→
それって ある種の権力を意味するような気がするんですね。
つまり…
堀口さんは 完全に操ろうとしてるわけでしょう?
操ろうとしてないです。
でもゆうこすさんも同じですよね。
操ろうとしてるわけでしょう?
目の前の人を。
私たち 操ろうとしてた?
もしかして。
いやいや 操ろうとしてる
一派でしょう どう見ても。
人を操る能力が コミュ力?
コミュニケーションが→
戦略を競う技術とも
見なされる時代。
いつから
こんな社会に?
昔から 人間って 会話とかは
してたわけじゃないですか。
何千年 何万年も。
でも 何で 殊更 この数十年この10年 20年ぐらいで→
コミュニケーション能力とか
コミュニケーションって言葉が→
ここまで 何か言われるように
なったんですかね?
それは すごく大事な
問題でですね→
例えば 50年前を考えると→
ちょうど1960年代の話になりますけど→
そのころって あまりコミュ力とか
コミュニケーション能力って→
必要とされてなかった
っていうふうに言われるんです。
例えば 仕事で言うと
大体 6割ぐらいの人というのは→
農作業をしてたりとか 製造業で
工場で働いてたりしてですね→
下手に ぺちゃぺちゃ
しゃべるよりもですね→
黙々と働くって事が
重要視されてもいたんですね。
で あと 恋愛で言うと
1960年代だと→
まだ 過半数は
見合い結婚だったりしたんです。
そういう時って あまりコミュ力って
必要じゃないんですね。
むしろ 多分 女性だと…
もっと良妻賢母で夫に付き従うような→
そういうコミュ力 だから…
えっ 考えられない。
そう。 男性の側は男性の側で→
コミュニケーション能力低くても→
勉強ができて
いい学校に入れば→
いい仕事に就けて
で いいお嫁さんと結婚できて→
幸せになるっていう→
そういう ある種の 社会的な成功モデルっていうのが→
その当時はあったから→
だから むしろ それが壊れた…大体 80年代以降なんですけど→
それ以降に コミュニケーション能力とか
コミュ力っていうものが→
必要になってきたっていうふうに