2018/08/06(月) 15:50〜16:50 ten.【西日本豪雨1か月…兵庫・京都・広島・岡山の被災地を徹底取材】[字]


実とは。
>>町じゅうが燃えてしまう。
そんな威力のある爆弾だったんです。
その名前は原子爆弾です。
>>子どもたちに戦争の恐ろしさを語る男性。
奈良県生駒市に住む大田孝由さん
71歳。
>>とっても熱い光線を出します
ので、ほとんどの人がやけどをし
ているんです。
>>3歳から5歳までの子どもたちは、
顔をこわばらせながらも、
真剣に耳を傾けます。
>>爆弾が落ちたところが怖かっ

た。
>>原子爆弾で死んだことが悲し
かった。
>>何回もサイレンが鳴ります。
やけどをした人、
それから水が欲しいと言って亡く


なっていった人、
そういうふうな場面、
場面での印象に残ったことば、
そういうのが記憶に残ればなと。
戦争のやっぱりおろかさであったり、
そういう核兵器の恐ろしさ、
そういったものは分かってもらえるようにするのが、
一番の目的というか。
>>73年前のきょう、
広島に落とされた原子爆弾。
その年、
14万人の命が奪われました。
大田さんはその2年後、
広島市で生まれました。
母親と、
当時1歳だった兄は、爆心地から
2.5キロの自宅で被爆。
命をつなぎとめましたが、
母親の妹は原爆ドームの近くで亡くなりました。
5歳のとき、
家族と東大阪市に移り住んだ大田さん。
60歳を過ぎ、
小学校の先生を退職したあと、
母親が話していたことをふと思い
出し、
原爆を体験した人の話をそのまま
語り継ぐ語り部を目指すことを決
めました。
>>人生の終わりの時期にさしかかったときに、
もう一度、

広島について、自分が語らないと、
やっぱり人にね、
語ってもらうことはできないんじゃないかなぁと。
年数から言えば、僅か5年です。
でも私の人生にとっては、
この5年という歳月は、
忘れることができないし。
>>大田さんは、
広島市が6年前に始めた被爆者に代わり語り継ぐ伝承者の養成事業
に参加。
3年もの間、
奈良県から毎月自費で広島に通い、
被爆者の話を聞き続けました。
>>ユニホームは真っ赤っか、腕
の肉がちぎれとったり、足の骨が
見えてたり、
肉片が転がってる。血の海よ。
まさに地獄です。
>>そこで、現在87歳の被爆者、梶本淑子さんに出会います。
梶本さんは、
爆心地から2.3キロで被爆。当時14歳。
動員先の工場にいました。
あの日、広島で何が起きたのか。
梶本さんはどうやって生き延びた
のか。
聞き取りを続ける中、
大田さんは梶本さんに問いかけました。
>>梶本さんが一番、
なんていうんですかね、
私どもが伝承させていただく場合

に、
これを言うてほしいっていうんで
すかね、その柱っていうのをね、
思っておられるのあったら、
教えていただきたいんですよ。
>>とにかく戦争してほしくない
ことと、
命を大事にしてほしいいうことが、
もう一番、
言いたいことで、なんぼ時間がな
くても、
これだけ言わせてくださいいうて。
>>梶本さんの被爆体験を、みずからのことばで、
およそ1万字の原稿に仕上げた大
田さん。
梶本さんが訴える命の重さ。
その思いを、
原爆を知らない関西の人たちを中
心に、
語り続けてきました。