2018/08/21(火) 16:47〜17:53 ten.【列島接近ダブル台風…20号関西最接近はいつに?蓬莱解説】[字]
戦後の人口増加を抑えつつ、
不良な子孫の出生を防ぎ、国民の
能力の向上を図ろうとする、優生
思想があった。
旧優生保護法が、再びクローズアップされるようになったのは、こ
とし1月。
不妊手術を受けた仙台市の60代の女性が、全国で初めて、
国に謝罪と損害賠償を求める訴訟
に踏み切った。
それ以降、
提訴の動きは全国に広がり、合わせて7人の被害者が立ち上がって
いる。
関西にも国と闘う決意を固め、
提訴の準備を進めている夫婦がい
る。
兵庫県内に住む2人は、聴覚障害
を持っていて、
79歳の夫は、50年前、結婚の
直前に、
不妊手術を受けさせられた。
>>私の父親と主人の父親のほうが、
私の父親の考え方は、
子どもは作らないほうがいいという考え方を強く持っていました。
それを主人の父親のほうにそれを
説得したようです。
それで、
息子である主人に、
主人が知らないままですけれども、
もう本当に知らないまま、
病院に連れて行かれたということ
です。
手術を受けたあとで、
もう子どもが作れないということが分かったとき、非常に悲しみま
した。
>>法律があったから、
もし法律がなければ、私たち夫婦
も、
子どもが生まれたかもしれない。
その法律ですよね、優生保護法と
いう法律、それが問題だと。
私たちは被害者です。
それはもう本当に、
腹を立てています、国に対して。
>>国が地方自治体に対し、
不妊手術を推し進めるよう指示したことを示す資料が、京都で見つ
かった。
1957年に旧厚生省が各都道府県に出した通知書。
手術の実施件数について、予算上
の件数を下回っている。
各府県別に比較してみますと、極
めて不均衡などとして、
自治体に件数を競わせていたこと
がうかがえる。
そんな中、全国に先駆けて、
不妊手術を積極的に勧めたとされているのが、兵庫県だ。
>>こちら、
兵庫県の公館には県内の出来事をまとめた年表がありますが、
1966年の代表的な出来事を見
ると、
不幸な子どもの生まれない運動が
始まったと書かれています。
>>兵庫県が1966年から74
年まで展開した不幸な子どもの生
まれない運動。
県の情報センターには、
運動に関する資料が一部残ってい
た。
とても行政が考えたとは思えない、
そら恐ろしいネーミング。一体、どんなものなのか。
この運動の先頭に立ったのは、
当時の金井元彦兵庫県知事。
運動を始める1年前の1965年、
滋賀県との一日知事交換で、
重度心身障害児施設、
びわこ学園を訪れた際の金井知事の感想が資料に載せられていた。
>>笑うことも、
はい回ることも忘れ、
喜びを奪われた子どもたちの悲惨
な姿に胸を痛め、
出生を予防することはできないか。
昭和41年4月から不幸な子どもの生まれない施策がスタートした。
>>身体・精神障害を持つ子ども
は、不幸な子どもとされ、
精神障害者への強制的な不妊手術
の費用をわざわざ県が負担するな
ど、優生保護対策を奨励。
8年間でおよそ100件の不妊手術が行われた。
当時、
この運動に対し、
怒りの声を上げたのが古井正代さ
んだ。
姫路市で生まれた古井さんは、
1歳のときに脳性まひと診断された。
運動を推し進めた金井知事と古井
さんは、中学生のときに面会して
いた。
1965年、
絵画展に出品した作品を持って訪
問し、激励のことばを受けた。
しかし、