2018/08/27(月) 15:50〜17:53


>>ちょっと想像してみてください。
>>小林一三さんとかちゃいます
の?
>>あー、有名なね、
会社の方なんですけれども。ではご紹介したいと思います。
こちらです。
松下電器創業者の松下幸之助さんが作ったものなんです。
梅田の歩道橋は、

今から54年前の1964年、
交通事故や渋滞を緩和するために、
松下幸之助さんが日本最大のマンモス歩道橋を建設し、
そして大阪市に寄贈したのが始ま
りなんです。
当時は今と違って、
地下街も発達していませんから、このようにたくさんの人が行き交
ったんですよね。
そして、
このように歩道橋の上で交通安全
運動も活発に行われていました。
今とは全く違う歴史が感じられま


すよね。
街の歴史を振り返ると、
忘れていた記録や記憶がよみがえります。
読売テレビが歩んできたこの60
年、
大阪・梅田はどんな歴史を歩んで
きたのでしょうか。
きょうは皆さんと一緒に、大阪・
梅田の60年前にタイムスリップ
します。
大型の商業施設が隣り合わせ、
高層ビル群が立ち並ぶ西日本最大
の玄関口、
大阪・梅田。
近代的な大都会も60年前、
1958年の姿まで時代を戻して
みると、
大阪駅の周辺には、
高層ビルはほとんどなく、
戦後の闇市から発展した梅田繊維
街と呼ばれる店舗が軒を連ねてい
た時代でした。
そんな当時の暮らしぶりがうかがえる貴重な映像が、読売テレビに
残っていました。
大都会、
梅田といっても60年前になれば、
その面影はほとんどないんですね。
梅田繊維街で働く大人たちは、
年末の繁忙期になると、夜間、子どもたちを近所の大学付属幼稚園
へ預け、

保育科の学生たちがボランティアで子どもたちの面倒を見ていたそ
うです。
今と同じ保育所不足でも、
昔は助け合いの精神があったんで
すね。
またこのころ、
深夜の大阪駅には、
酒に酔った千鳥足の男たちの姿が
よく見られたそうです。
ハット帽にロングコートで決め込
んだダンディーな男性。
ところが、あっちにふらふら、
こっちにふらふら。危ない。
いつの時代も、
酔っ払いの姿に変わりはないようです。
東京タワーが完成した60年前。
そのころの日本の流行といえば。
1958年、
アメリカの人気シンガー、
ポール・アンカが来日し、ロカビ
リーブームが到来。
日本人はこのロカビリーミュージ
ックをカバーしてみたり、
踊って演奏するなど、大熱狂した
そうです。
さらにこのころ、
アメリカから上陸してきたのが、
プラスチックで出来た輪を腰を振
ってくるくると回すフラフープ。
コーヒー1杯が50円の時代、

フラフープは250円前後と、価格も手頃なこともあってか、
老若男女を問わず大人気。
このブームで、
警察官も職務の間にフラフープ。
これが本当のおまわりさん。なんちゃって。
そしてそのころの大阪駅では、
特急こだまが誕生。
大阪と東京間を、
6時間50分かけて結びました。
今なら7時間あれば、新幹線で東
京から鹿児島まで行けちゃうけど、
まだ高速鉄道がなかった時代。
東京と大阪をダイレクトに結ぶ最初の特急電車として注目。
ビジネスデスクって、移動しなが
ら仕事ができるスペースまであっ
たんですね。
このこだま号のデビューを皮切りに、梅田は時代の最先端を走り続
け、
日本初となる技術、
施設を次々と取り入れたのです。