当時の日本でも手に入りやすい食材でアレンジすることで、
どこの国にもない、
日本独自の洋食が生まれたのでございます。
戦後日本の歩みと共に、進化した
洋食。
世界でも唯一無二の味に。
戦後、
庶民の味として、
急速に普及していった洋食。
そこにはもう一つ、
大きなポイントがございました。
>>再現できるっていうのは、
それがまた洋食が広まったという一つのきっかけになった。
>>家庭でまねして作ろうと思っ
て、
頑張ればなんとか形だけは。
それで普及したということですかね。
>>そうですね。
>>ふだんのテーブルに載る食べ
物になってますんで。
>>そうですよね。
>>特別な技術がいらず、家庭で
主婦が簡単に作れる味。
そこには、
終戦直後の日本が置かれた状況が関係しておりました。
>>戦後、
日本にGHQが入ってきたときに、戦略として、
西洋料理を日本に取り入れようと
いう企画があって、それが一つの
きっかけになって、洋食が大衆化
したっていう。
>>アメリカが、
国内で余った小麦を売るために、給食などを使って、
西洋の食文化を広めようとした、
いわゆる小麦戦略。
これでアメリカの食材が大量に日
本の市場に入ってきたことで、
家庭の食卓にも、
洋食の文化が浸透していったのでございます。
さらに洋食の普及の語るうえで、
外せないものがございます。
それは、
デミグラスソース。
の缶詰でございます。
>>デミグラスソース自体はもともとフランスにあったソースなん
ですけれど、これを日本で独自に
開発した、
ハインツさんという会社が。
>>ハインツさん、ケチャップの
?
>>ケチャップの、そうです。
>>ケチャップで世界的シェアを
誇る、
アメリカの食品メーカー、ハイン
ツ。
世界中に拠点がございますが、デ
ミグラスソースの缶詰は、
ほぼ日本でしか販売していないそ
うでございます。
時は1970年。
日本初の万博で、世界の食文化が、
大阪に集まっていたころ。
ハインツは、
日本での商品展開に苦戦しており
ました。
>>基本的には、
輸入品を中心に売っておりまして、
なかなかやはり、
当時の日本人の舌というか、
お口に合わないというか、
うまくそれがフィットできなかったという時代が続いていたんです
よね。
>>そこで目をつけたのが、ハヤ
シライスやハンバーグなど、
日本人が好んで食べていた洋食に使われるデミグラスソース。
牛スジ肉をしっかり炒めてから、
タマネギやニンジン、
セロリと一緒にじっくりと煮込ん
で作るこのソース。
プロでも作るのに丸1日以上かか
るため、
家庭で食べることは難しかったの
です。
ハインツはこれを缶詰にし、
日本での目玉商品にしようと考えたのでございます。
>>日本人がちゃんと作った、
現地で作ったものじゃないと、なかなか難しいんではないかという
ことで、そういった現地できちん
と開発ができる、
適任の方を引っ張ってきて、開発
に従事したと、そういった経緯が
あります。
>>開発担当の稲田シェフは、
ごはんに合うように、
本場よりもとろみのある、濃いソースに改良。
さらに、
何時間も小麦粉を炒めてとろみを出す工程を簡略化するために、
和菓子のあんを作る機械を応用。
日本人ならではのアイデアを生かしました。
そして生まれたデミグラスソース