2018/09/08(土) 18:30〜01:30 FNS27時間テレビ にほん人は何を食べてきたのか?[字][デ]【たけし村上&修造上戸】
昔からの。
<では 今も残る 「喜久鮨」を
訪ねましょう>
<たけし少年を
よーく知る方も いたんです>
では 早速 行ってみましょうか。
はい。
失礼いたします。
すいません よろしいですか?ちょっと お話を お伺いしても。
(木下)あっ はーい。
よろしくお願いいたします失礼いたします。
<昭和25年 創業の 「喜久鮨」は→
たけし少年が 菊次郎さんに連れられて 来ていた…>
(木下)でも…。
あっ そうなんだ!
えっ お父さまは?
(男性)はい。
えっと…。
<たけしさん…>
あっ 先生!?
(木下)たけしさんの。
あっ 先生!?
うわっ! どんな2年生でした?
きっと まとめる…
束ねるという能力が。
(藤崎)それで 何か…。
うわっ 上手にしてるわ。上手にしてるわぁ。
<そんな藤崎先生は→
お米についてもよく覚えていたんです>
当時のお米って どういった
お米だったんですか?
(藤崎)お米が買えるだけで…。
貴重な物ですしね。
今でこそ コシヒカリだとか
何とかって言いますけどもね。
<当時は 売る側も お客も→
お米の銘柄という意識はなく→
東京では
国から割り当てられた お米を→
地元の米店が
各家庭に 配給する形>
<家族構成が書かれた
米穀配給通帳を持っていけば→
それに応じて
お米が買えたんです>
すいません。
すみません。
<60年前のお米は 銘柄 不明!>
<手に入れる方法って?>
ちょっと 懐かしい
足立区だと思いますけれど。
たけしさん 覚えてらっしゃる所
ありました? お店であったり。
「喜久鮨」とかね 床屋さんはね→
父ちゃん顔 出すのは 知ってんだよ。
父ちゃん 何かね
酔っぱらっちゃ 顔 出すんだよね。
ある日ね 血だらけになって
帰ってきたことがあるんだよ。
何か あの親父か何かと
一緒に 酒 飲んじゃって→
いいから…。
「床屋 行ったらよ…」
何やってんだよ。
でも たけしさんは悪いことしても いたずらしても→
やっぱ 怒られなかったっていう。
これは ちょっと… 安子さん→
そういうイメージは
おありですか?
べた褒めですやんか! 弟のこと。
(安子)ホントに そうなの。
そんな かわいらしかったんすか?(安子)だから 私が… そうね…。
あっ 2歳ぐらいからの…。背中に おぶって。
二人羽織やって…。
さすがですね。
北野家の DNA さすがですね。
<60年ほど前の 昭和30年代→
たけし少年が食べていた
お米の手掛かりは→
ここに ありました>
<2人が…>
あっ 係りの方かな?
こんにちは。(加藤)こんにちは。
(加藤)どうも 加藤です。
どうも 関ジャニ 村上と申します。
ちょっと 色々ね…。
調べまして 今…。
お米に関して 調べていまして
調べた結果…。
加藤さん
1歩だけ 前 出ていただいて。
カメラの前に…。
自動ドアがね ガチャガチャなるから。
びっくりしましたやんか。
まさか 接吻の距離ですからね。
ドキっとする距離でしたね。
ドキっとしたよ。
<ここは…>
<その中に→
これまで