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2018/10/20(土) 17:15〜18:00 西郷どんスペシャル(3)「西郷と大久保 明治に挑んだそれぞれの道」[解][字][デ]


時代考証を担当する歴史家の一人→
原口 泉さんは こう言います。
その西郷の思い鈴木さんは どう捉えているのか。
はあ~ なるほど。
200万人の士族の皆さんに→
これだけ
やっぱ 支持されるわけですよね→
こういうことをやってらっしゃった
ということで。
西郷の偉いところっていうのは



自分も武村というとこに入って→
農民になって 農民父として暮らし始める。
はあ~ なるほど。
これと違う考えだったのが大久保さんで…
でも 何かバランスとれてる感じがしますよね 2人で。(磯田)最初はね。
農家の方に すごく慕われてましたでしょ
西郷さんね。
農家の方たちのところで
こんな銅像があるんです。
これ 山形にある銅像です。
これ西郷さん。
すごく親しそうですもんね。
(パトリック)西郷どんが 何か教え込んでるんですか?
何か さっき
「先生 先生」と呼ばれてましたよね。
なぜ 山形の人たちに
こんなに西郷どんは愛されてるというか。
[外:D4F0B6247BBB9102758D1F4A06506C9F]摩と戦ったところが よかったんですよ
だから。なるほど。
全部そういう扱いに。
そうじゃないところは 潰されていく…。
農業にも増して大きな改革が
先ほどのビデオにも出てきましたけれど…
当時の小学校低学年で使われた
本物の教科書を持ってきましたので→
是非 見て頂きたいと思います。
いいんですか? 触って。すごい。
(塚地)
ドラマで作ったやつじゃなくて 本物?
え~!

(パトリック)すごい すごい。(タカ)これ 小学校の時に→
もう古文の勉強してたってことですか?
いや 古文じゃないんだよ 別に。
いや これ見て下さい。
(高橋)当時の小学生…
(タカ)本当 ガリレオみたいなこと。
(磯田)すい星が接近する時にどうなってるか土星に輪があることとか。
(タカ)
そんなことも分かってたんだ 当時で。
(磯田)算数ですね。
(磯田)これね 日本の教育へのヒントもあって→
かなり難しいことを…
(磯田)ちょっと難しそうでも教えると。
学ぶべき例じゃないかと思いますね。
そうですね。 つまり勉強さえすれば→
身分に関わりなく どんなことでも
できるんだよということで→
みんなが本気になったっていうことは
大きかった。なるほどね。
こういう人がいるから いけないんだよ。
ハーバードめ!
ごめんね。
悪かった。
そのころ
大久保利通は何をやっていたのか→
先生 キーワードお願いします。
はい。 じゃあ これにしよう。
大丈夫か? 歯槽のう漏。
歯槽のう漏?
リンゴ!

リンゴですねややこしいな もう。
石炭と鉄から あらゆるもんをつくる。
そいを己で使うばかりでなく異国に売って富を築く。
進んだ国とは こげんすごかもんかち
つくづく思い知らされた。
明治6年 岩倉使節団の旅から帰国し→
実質的な首相である内務[外:1E3E86471108B07367CC8A2EE651BA7D]となった大久保。
新たに作り上げようとしたのは
貿易によって大きな収入を得る→
経済システムでした。
あの方に 再びご登場頂きましょう。
大久保は 何を足掛かりに
富を築こうとしたのでしょうか。
これは 当時
東京・高輪にあった大久保の別邸。
この屋敷の中で
リンゴやブドウなどの果物を→
実験的に栽培していたといいます。
西郷が武士たちに農業を広めていった一方→
大久保は
農業を更に大きな産業とするべく→
新たな人材を育成しました。
東京大学農学部や東京農工大学の前身となる農学校を設立。
その開校式で こんな言葉を残しています。
その思いに準じて 明治新政府のほかの高官たちも農業に取り組みます。
その一人が
外務大臣などを歴任した大物→
榎本武揚。
榎本が何をしたのか。
教えて頂けるのは この方


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