2018/10/24(水) 00:40〜01:40 NHKスペシャル 平成史 第1回▽大リーガーNOMO〜トルネード・日米の衝撃[字][再]


それまで誰も見た事のない→
型破りの投球フォームだった。

プロに入った野茂は→
伸びのある剛速球と
落差の激しいフォークで→
三振の山を築いていった。
1年目の成績は 18勝8敗。
沢村賞など
8つのタイトルを総なめにし→
一躍 日本球界のエースに
躍り出た。
自分の信じたボールを
真っ向勝負で投げ込む。
それが 野茂にとっての
ピッチャー像だった。
かん… いや 考えてないですよ。
考えられないです はい。そこまで。
そうですね まあ その一球に
意味はありますよ。
それは分かりますけど…


ごちゃごちゃ… うん。
大リーグでの初登板も
打者に臨む姿勢は変わらなかった。
日本で築き上げた
自らのスタイルのまま→
ストレートとフォークだけで
打者に挑んでいった。
0対0のまま進んだ3回裏。
野茂に立ちはだかったのはジャイアンツの4番…
この前年 ナショナルリーグの
ホームラン王を獲得した→
大リーグ屈指の強打者だった。
大リーグ屈指の強打者を→
伝家の宝刀 フォークで
三振に切って取った野茂。
それは 日本選手が
世界でも通用する事を→
強く印象づけた一球だった。
大谷翔平。
田中将大。
松井秀喜。
そして イチロー。
今では日本選手の大リーグでの活躍は→
日常的になった。
しかし かつて 日本のプロ野球と大リーグの間には→
高い壁が存在した。
野茂の挑戦から遡る事 10年。
日本で206勝をあげた江夏 豊は→
大リーグを目指しマイナーリーグでプレーした。
日本球界で さまざまな記録を

打ち立てた江夏も→
その壁を越える事はできなかった。
プロ3年目のシーズンオフに参加した 日米野球。
野茂は
それまでの日本選手と違い→
最初から
アメリカを見据えていた。
3年連続で最多勝と最多奪三振の
タイトルを獲得していた野茂。
日本の強打者をねじ伏せてきた
ストレートで勝負を挑んだ。
大リーグへの思いを深めた
野茂は→
通算324勝を誇る
ノーラン・ライアンなど→
大リーグのエースの映像を
自ら編集し→
擦り切れるほど見るようになった。
ライアンが書いた教本を熟読し→
当時は まだ珍しかった科学的な
トレーニング方法も導入した。
一方で 野茂は 旧態依然とした
日本球界の体質に→
違和感を抱くようになっていった。
監督やコーチの経験主義に基づく練習や調整方法。
おかしいと思っても
それに従う事が絶対とされる風潮。
野茂は 首脳陣と対立する事が
増えていった。
そして 野茂は→

その後の日本球界を一変させる事件の当事者となった。
日本の球団は 長い歴史の中で→
一度も選手の大リーグ移籍を許可した事はなかった。
しかし
入団4年目のシーズンオフ。
野茂が
大リーグ挑戦に踏み出したのだ。
日本野球機構の報告書。
大リーグ挑戦の経緯を厳しく非難していた。
球史に残る事件は
どのようにして起きたのか?
その話 出した頃には。
今回 野茂は 最初の交渉から任意引退書にサインして→
交渉に臨んでいた事を
初めて明かした。
野茂の交渉相手だった…
前田と親交があった…
任意引退書に
サインしたとはいえ→
近鉄に残ると