21か所の遺跡を調べました。
その中の一つが
タップオシリス・マグナでした。
アレクサンドリアの
西 40キロの場所にある→
複数の神殿が集まった遺跡です。
タップオシリス・マグナが→
クレオパトラの時代にまで
遡るものなのか→
マルティネスにも
確証はありませんでした。
(ノーントン)考古学者の興味を
引くような場所ではありません。→
あの遺跡と
クレオパトラが結び付くなんて→
想像した事もありませんでした。
20世紀に いくつかの研究チームが発掘調査をしましたが→
興味深いものは
ほとんど見つかりませんでした。
しかし
マルティネスにとっては違いました。
足を踏み入れた途端
笑いだしてしまいました。
正しい場所だと分かったからです。
敷地を囲む壁には碑文がなく→
いかなる王朝につながるものも
見当たりませんでした。
そのため
これまでに調査した考古学者は→
タップオシリス・マグナを
未完成に終わった神殿で→
取るに足らない遺跡だと
見限っていました。
そうではない事をマルティネスは
証明しようとしていました。
今までに この遺跡に来た人は→
何かを探そうという明確な意図を持っていなかったんです。
ほとんどの考古学者は
マルティネスの説に否定的でした。
(ノーントン)マルティネスの考え方は
とても感覚的なもので→
科学的な視点が
欠けているように思えました。→
考古学の世界では
うさんくさい人物として→
見られていたというのが実情です。
しかし 遺跡の巨大さとアレクサンドリアへの近さから→
マルティネスは自分の直感は正しいと
確信していました。
もし 墓を見つける事ができれば
クレオパトラの生活や→
その死にまつわる秘密も
明らかになるはずです。
人々は映画の中のクレオパトラしか
知りません。
実際の彼女は
音楽を奏で 薬を研究し→
法律にも精通していました。
女性が抑圧を受けていた時代に→
信じられないほど
多くの事を成し遂げたんです。
ローマ人がクレオパトラを
悪女として拒絶する一方で→
アラブの人々は
彼女を哲学者 科学者→
そして 優れた政治的指導者として
伝えてきました。
そうした見方は→
最近の学者たちの間にも広まっています。
古代史学者のドロシー・トンプソンは→
現存する数少ない古文書から→
クレオパトラが行った政治に関して
新しい発見をしました。
私はエジプトの女王に
関心があります。
後世の人々が
作り上げた→
幻想の姿にではありません。
書き残された記録から分かる真の女王の姿にです。
ベルリン・エジプト博物館にある
2,000年前のパピルスには→
クレオパトラの政治手腕をうかがわせる
記録が残されています。
(トンプソン)
これは紀元前50年のもので→
彼女が即位してから
1年半の間に書かれています。→
一番上には女王を意味する
言葉が書かれていて→
クレオパトラが この勅令を発した事が
分かります。→
クレオパトラは
都の人々に十分な食料が→
行き渡っているかどうかを
心配しています。
エジプトが飢きんに襲われた時→
飢えのせいで騒動が起きないようクレオパトラは勅令を出したのです。
(トンプソン)彼女は
こう 命じています。
「穀物を買った いかなる者も→