ローマの将軍 ユリウス・カエサルがエジプトを訪れます。
20歳の若き女王 クレオパトラは
カエサルと恋愛関係になります。
しかし その裏には→
自らを有能な政治家として誇示したいという→
クレオパトラの したたかな計算も
あったと考えられています。
カエサルとクレオパトラの
関係については→
男女のラブロマンス
そして 政治的な駆け引き→
その両方があったと思います。→
ローマは地中海世界で最大の強国でした。
エジプトは
ローマの保護を求めていたし→
一方 ローマも
大穀倉地帯であるエジプトを→
傘下に収めておきたかったんです。
2人の恋愛関係は4年間続き息子も1人 生まれました。
カエサルは
クレオパトラをローマに連れていき→
彼女をたたえる神殿まで
造りました。
クレオパトラも
カエサルに貴重な贈り物をしました。
科学の分野における
豊富な知識です。
当時 ローマの暦は→
月の満ち欠けに基づく太陰暦でした。
しかし 月の満ち欠けを
基準にしていると→
毎年 暦に ずれが生じるという
問題点がありました。
(アーリヤ)1年の日数が固定されず
うまく機能していませんでした。
一方 クレオパトラの治めるエジプトでは→
太陽の動きを基準にした暦を使っていました。
カエサルはエジプトに倣い
ローマの暦を改革します。
カエサルはエジプトの天文学を取り入れ→
太陽の動きに基づいた暦を作り上げました。→
これによって
ローマの暦は安定しました。→
1年が365日。
4年に1回の うるう年。
つまり 今 我々が使っているのと
基本的に同じ暦です。
しかし 紀元前44年→
カエサルが暗殺されるという事件が起きます。
クレオパトラは故国 エジプトへと
戻っていきました。
2014年 マルティネスの発掘調査は
10シーズン目を迎えていました。
すばらしい出土品が
数多く見つかっていました。
どれも クレオパトラの家系である
プトレマイオス朝に由来するものです。
これは私のお気に入り。
プトレマイオス朝時代の女王の像です。
目にメークを施すアイライナーです。
これは物売り用の はかりに使う分銅。
アレクサンドロス大王の像。
こちらはペニス。エジプトの豊じょうの神の一部です。
出土品によって 在りし日の神殿が
徐々に よみがえります。
神殿の北門で更に興味深いものが
見つかりました。
石でできた奇妙な形の礎が
14個 並んでいたのです。
重要なのは
全ての石が幾何学的に→
異なった形をしている事です。
これは とても珍しい事です。
これまでに14個 見つけました。
エジプトを支配したプトレマイオス朝の王は→
クレオパトラまでに14人いるので
この礎は→
それを
表現しているのかもしれません。
マルティネスは これらの礎の上に→
プトレマイオス朝の歴代の王の像が立ち並び→
道を形づくっていたと
考えています。
つまり
ここは非常に重要な神殿で→
女王の墓に
ふさわしい場所だという確信を→
更に深めました。
2015年2月。
礎の後ろの がれきを掘り返すと
驚くべきものが出てきました。
文字が刻まれた
大きな石灰岩の板でした。
有名なロゼッタストーンと同様→
碑文はヒエログリフとデモティックの両方で→
書かれていました。
この石の塊がタップオシリス・マグナの歴史を→
今に伝えてくれます。
私は これをマグナ碑と名付けました。
マグナ碑はプトレマイオス5世が即位して