2018/11/07(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!京都・高雄で歴史散策!神護寺へ】[字]


奄美大島の中にある古代の遺跡から発掘されたものだといいます。
発掘を手がけた博物館の高梨修館
長に、博物館の奥へ、案内しても
らうと。
>>遺跡から出てきたヤコウガイ
です。
>>このケースすべてですか?
>>そうです。
>>しかも大きいわ、サイズが、
貝のサイズが。



>>これらはすべて、
小湊フワガネク遺跡という一つの
遺跡から出土したもの。
なんと、
1000個のヤコウガイと3000ものヤコウガイの破片が出てき
たというのです。
>>1か所で同時に大量に発見されたのはどういうことなんでしょ
う?
>>これはもうやっぱりヤコウガ
イを使った製品を作るために、こ
の遺跡の人たちは、ヤコウガイを
集中的に捕獲していたということ
が分かります。
>>えー!
>>そこが製造所みたいになっていたと?
>>おっしゃるとおりです。
一点一点を完成させるのではなくて、
工程ごとに複数個まとめて作って
いるということで、分業というか、
量産をしているということが分か
ります。
>>一種の工程管理が。
>>そうですね。
>>できてたという。
>>今の工場と一緒ですね。
>>ですね。
>>遺跡があるのは、この港のそば。
丘の上に、
国の史跡に指定されている小湊フワガネク遺跡がありました。
>>遺跡はこの辺から向こう全部、

遺跡になります。
>>ここ全部ですか。
>>全部この下には、遺跡が眠っ
てます。
>>ここで磨かれ、
加工されたヤコウガイが、
近くの湊から運び出されていたに違いないと、高梨さんは考えてい
ます。
>>日本書記の中には、7世紀、8世紀、
南の島からの特産物が都へ納めら
れていたことが書かれていますの
で、ですから、その中にヤコウガ
イが含まれていた可能性が今、浮
かび上がっているということです
ね。
>>さらに高梨さんは、奄美大島
のヤコウガイが、日本だけでなく、
中国や朝鮮半島にも輸出されてい
た可能性があるといいます。
>>螺鈿の材料として、大陸に渡
って、
そこで工芸品に加工されて、それ
が品物として、
正倉院に納まったという可能性も

>>もちろんあると思います。
>>十分あるわけですよね。
>>南の海で生まれた貝が中国へ
渡り、
美しい箱となって遣唐使の手で、

奈良の都へ運ばれた。ヤコウガイの長い旅路に想像が膨
らみます。
続いては、
>>ヤコウガイが伝える正倉院と
南の海の物語。
私たち調査隊も、
ヤコウガイの加工を体験させていただきました。
貝が光を放つまで、
やすりでひたすら磨き続けます。
>>これだけ光ってくるのが不思
議やね。
うなったかいが出てくる。
>>右腕が悲鳴を上げそう。
古代の人たちは、石や砂で、
この作業を行っていたそうです。
>>滑らかになってきた、出来ま
した。
>>きれいに出来ましたね。
>>キーホルダー。
きれい、色もきれいだし。
>>きれい、きれい。
>>きれい。
>>われわれ、奄美、
それから徳之島と、
旅してきたわけですけれども、一つ思ったのは、やっぱり昔の人も
やっぱり、自然のヤコウガイを見
たら、きれいなと思って、これ、
こうしたらもっときれいになるが
なっていうそういう自然の中から
美を、美しさを見つけ出す、