2018/11/12(月) 02:20〜03:35 NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」[字][再]
望んではいませんでした。
日中戦争で
既に85万の兵力を割いており→
ソビエトと新たに事を構える
余裕はなかったからです。
本来 関東軍の独走を
抑える立場にあった参謀本部。
実は ノモンハン事件が起きた時→
偶然 幹部の一人が関東軍を訪れていました。
稲田作戦課長は これ以上→
事を荒だてないよう伝えながらも→
事実上 関東軍の
行動を黙認していたのです。
当時 30万を超える兵力を擁し→
満州国の統治にも深く関与していた関東軍。
日本陸軍の一組織でありながら
参謀本部も→
容易には口出しできない存在と
なっていました。
東京に戻った稲田作戦課長は
ノモンハンでの紛争について→
参謀本部が これ以上
介入する必要はないと→
発言していました。
国境紛争という重大事を 中央がコントロールしなかった事で→
事態は 更に悪化していきます。
ソビエト側の反撃を受けた関東軍。
それに応酬する形で 国境を越えて
ソビエト軍基地を空爆。
これは 現地軍の裁量を超えた
行為でした。
関東軍首脳が集まる会議。
この越境爆撃を主張したのは[外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]だった。
本来 国境を越える軍事行動には→
参謀本部を通じて天皇の裁可を得る必要がある。
ところが [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]は
参謀本部には諮らずに→
強行すべきだと訴えた。
これに対し [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]の上司磯谷参謀長は→
東京の参謀本部と
事前協議すべきだと主張。
しかし [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]は譲らなかった。
結局 関東軍トップの植田司令官は越境爆撃を承認。
こうして 国家同士の大きな戦争に
つながりかねない越境爆撃が→
関東軍の独断で 実行に移された。
なぜ 若手の一参謀の意見が関東軍全体を動かすに至ったのか。
石川県の山あいにある
[外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]少佐の生家。
貧しい家庭に生まれた [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]少佐。
成績優秀で 陸軍大学をトップクラスで卒業しました。
当時 [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]少佐のような
若きエリート将校たちが→
参謀として重用され 陸軍全体の
作戦の立案に当たっていました。
時に 上司に対しても
明確な意見を述べ→
独断での行動も辞さない [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]少佐。
上層部の一部から高く評価されていました。
ノモンハンの越境爆撃を承認した
植田司令官は→
以前も [外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]少佐と
上司 部下の関係でした。
陸軍の人間関係を背景に
一部の参謀の意見が→
強い影響力を持っていたのです。
天皇の統帥権さえも軽んじた関東軍の越境爆撃。
大元帥 昭和天皇の
怒りに触れます。
参謀本部 稲田作戦課長の
証言です。
昭和天皇が 関東軍 植田司令官の
処分を示唆する→
異例の事態となりました。
しかし 稲田作戦課長は別の人物に責任をとらせる事で→
事態の収拾を図ろうとします。
天皇から 叱責を受けた直後→
参謀本部の稲田は
陸軍の大物を訪ねた。
陸軍の人事権を持つ…
稲田は 強硬な[外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]を関東軍から異動させる事で→
事態を収めようとした。
しかし またしても 陸軍内の濃密な人間関係が壁となる。
板垣も また かつての
[外:C9F2FDA15B722253C625AEBE73F4B1D9]の直属の上司だったのである。
陸軍内の情実が優先され→
昭和天皇が問うた責任は事実上 不問に付された。
天皇の意向さえ軽んじて
独断で行動する関東軍と→
それを止められない 参謀本部。
実力組織である陸軍の曖昧な意思決定は→
結果として 多くの兵士の命を奪い
国を危うくさせていったのです。
越境爆撃のあと
ノモンハン事件は→
壮絶な地上戦へと
エスカレートしていきます。
最大で 日本軍 2万5,000→
ソビエト・モンゴル軍5万7,000が激突する→
事実上の戦争でした。