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2018/12/01(土) 16:35〜17:20 みやざきスペシャル「西郷どんの“素顔”〜徹底トーク!宮崎×西郷隆盛」[字]


児玉先生 よろしくお願いします。
早速 この立派な碑が…。

うわっ すごい 本当だ!
ここで…
陣頭指揮?はい。へえ~。
最初で最後っていうことは
西郷さんって ほかの戦いでは…。
全く前線には出ていないんですね。
ところが ここだけはですね→
最後の激戦に臨んで
初めて 陣頭指揮を執ったんですね。
まさにね ここにも書いてますよね。
「西郷隆盛」…。
「初めて 戦場に立つ」。
最後の決戦の真っただ中→
西郷は 何を見つめ
どんな心境に至ったのか。
しのぶことができる場所があります。
ここは 何かあるんですか?
実はですね ここが一番…


ここに作戦配置図が表示してあります。
今 石碑の立ってたのが ここですね。
現在地から さっきの石碑があった所が。
これを見ると 一目瞭然ですよね。
この地に至るまで[外:D4F0B6247BBB9102758D1F4A06506C9F]摩軍は3千5百人にまで激減。
対する政府は その10倍以上→
5万の大軍を送り込みました。
西郷自身が姿を現し
初めて 陣頭指揮を執ったことで→
軍勢は奮い立ちます。
しかし 多勢に無勢。
奮闘むなしく
最後の決戦にも敗れました。
煙突が見えますね。 あの煙突の所→
あそこに 政府軍の指揮をしていた山縣有朋が あそこにいるんですね。
へえ~ あそこに
山縣有朋がいたんだ。
そうなんですね。
へえ~。
攻めてきてる。
どうですか?
結構 でも 近いから
西郷さんも見えたでしょうね→
山縣有朋軍の姿が。
実は そうなんですね。
1.5キロぐらいしかないんですが…
そうなんですね。びっくりしたでしょうね 山縣有朋も。
西郷さんが自ら指揮を執ってるって。
お前たちは…
…と言ったといわれています。

敵対する軍の戦い方を褒めたわけですね。そうですね。
もう何か 西郷さん その時には もう→
自分の死を覚悟してるような言葉じゃないですか。
そうなんです。
自分がいなくなっても新政府軍とか日本は もう大丈夫だって→
何か 切なくなりますね。
決戦に敗れたあと 西郷と兵士たちが向かった場所があります。
地元の名士 児玉熊四郎の家。
西郷は ここに陣を構えました。
そして 軍の幹部たちと会議を開きます。
西郷が 自ら下した決断は[外:D4F0B6247BBB9102758D1F4A06506C9F]摩軍の解散。
西南戦争は 実質的には
ここで終わりを迎えたのです。
現在 この家は資料館として
一般に公開されています。
入って まず 目に留まるのが…。
うわっ すごい立派な軍服が…。はい。 これ 軍服のレプリカ。
陸軍大将の軍服ですね。
でも サイズも…。是非 近くで。
おっきい やっぱり!
これは西郷が 181センチで110キロという設定で作ってあります。
すご~い。
初代陸軍大将だった西郷は→
戦争中 その軍服をずっと携えていました。
最後の決戦に敗れたあと西郷は心の整理をつけるためか→
象徴的な行動をとります。
大切にしてきた軍服を自ら焼いたのです。
その場所が今に伝えられています。
まさに この場所で。それが こちら。
え~ ここで!

はい。そうなんだ。
ここですね。
明治天皇に対しての謀反というかですね…
天皇に対してですね
大変申し訳ないということで→
自分の…
大変申し訳ないという…。明治天皇のことを慕ってましたもんね→
西郷さん。
でも 本当に逆賊になりたくてなったわけじゃないのに→
そうならざるをえなかった
その板挟みの気持ちというか→
その葛藤の気持ちとかが→
いろいろ織り交ざりながら軍服を焼いたんでしょうね。
そうなんですね。
何か切ないですよね。いや 本当 複雑な心境ですよね。
軍を解散し 軍服を焼いた西郷。
政府軍が包囲する中深夜に付き従う部下たちと→
背後の可愛岳へ分け入りました。
政府軍の虚を突いて険しい山越えを選んだ西郷たち。
苦心惨憺の末 九州山地を抜け→

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