友達を裏切れない。 で 若い人たちを…→
例えば 私学校の生徒たちをですね。
火薬庫を襲ってるわけですよね。
それは 突き出さなきゃ
いけないんですけども 突き出せない。
2,000人の若い人たちを。
情深いんだ~。
情が深いんじゃないですかね。
それが ある意味 弱さなんですね。
弱さですけども でも 魅力でもある。
愛されるところ。
勝 海舟は
分かってたんじゃないですか?
有名な 常夜灯を贈って 南洲墓地にね。
「ぬれぎぬを 干そうともせず子供らが→
なすがまにまに 果てし君かな」と
詠んでますからね。
そうですね。 私 このごろ
得意になって言ってるんですけど→
アナログな心とデジタルな頭脳と
いうんですよ。
アナログな心とデジタルな頭脳ね。
西郷は まさに そうなんですよ。
…で 意外に西郷はね
頭脳がね論理的なんですよ。
だから 情報を分析してね
デジタルな頭脳なんですよ。
両方併せ持ってるのがいい
ということですか?そうですね。
そういう 何か こう
一度 死にかけたりとか→
苦労もしているから いろんな
苦しんでる人の 人の痛みとかが→
よく分かる方だったのかな。
だからね あの→
デジタルな頭脳持ってるからね
廃藩置県ができたんですよ。
ね。 近代国家にとっては やっぱり→
藩体制は 本当は 残したいけど残せないという判断ができたのはね→
彼の やっぱり
デジタルな頭脳だと思いますよ。
だから…
そうですよね。私 明治維新の中で→
廃藩置県が 一番 イノベーション
革命だったんじゃないかなって思います。
明治の功臣 最大の功臣は…
ということはどういうことかと言いましたら…
だから 久光との間が
克服できないんですよ。
大久保みたいに 自分が 朝臣
朝廷の役員だという→
気持ち持ってたらね 久光との関係もね
ある程度 処理できたんです。
ところが 彼 なまじかアナログな心でね→
封建的な主従関係を認めてるもんですから→
結局ね 久光との関係
苦しむんですよね。
そうですね いってますよね
有名な話です。
やっぱ…
戦乱に巻き込まれ被害を受けた宮崎の人々は→
その記憶を さまざまな形で
語り継いできました。
これが昔の通り。
これが昔の鵜戸街道です。
道幅は 江戸時代と同じ幅ですね。
代々 宮崎市で暮らしてきた[外:3F642F3778827E651C8B82A4E9F06FD3]村恒夫さん 81歳。
今でも 幼い頃にはやっていた
手まり唄を覚えています。
とか言ってね
そういうふうについてましたよ。
でも もう 戦後は聞かないですね。
だからもう 戦前ですかね。
戦前の子どもたちが口ずさんだ唄には→
実際の宮崎の地名が出てきます。
風刺まじりに表現されているのは→
戦いに敗れた西郷の軍勢が→
街から逃げ出す様子です。
こうした唄が生まれた背景には何があったのか。
西南戦争のさなか
宮崎の街で起きていたことを→
庶民の目線で記した
貴重な記録が残っています。
一人の医師が書いた報告書。
実際に目の当たりにした被害の様子が→
生々しく記述されています。
「大淀川の南岸に沿いて戸ごとに火を差す」。
「炎焼するを遠望せり」。
[外:D4F0B6247BBB9102758D1F4A06506C9F]摩軍が一般人を戦いに駆り出したり→
敵を足止めするため
家に火をかけたりするなど→
民衆を戦争に巻き込んでいく様が
記されています。
宮崎県って 西南戦争で
ものすごく長い期間→
いろんな各地で 被害を受けた人たちが
たくさんいたんですよね。
西郷さんは そうしたくなくても
もう それは 軍隊として→
兵糧を得たりとか