しかたのないことだとは思うんですけど→
もう庶民の人たちにとっては
本当に巻き込まれて→
つらかったんでしょうね。
そうなんですよね。
何より まずはですね 5月…
もう始まった時には→
宮崎県はなかったんですよ。
鹿児島県に合併されて宮崎支庁でしょ。
軍政が引かれて 西南戦争への従軍が
県庁お達しで出てますからね→
ほとんどの人が参軍したんです。
宮崎は 北は延岡隊ですよね。はい。
それから
佐土原隊がいて そして 飫肥隊→
そして 福島隊と それぞれがね→
1,000人から2,000人の規模で従軍してますから。
うわ~。
そうですよね。
5月から9月といえば 一番 農業に
従事しなきゃいけない宮崎の農民は→
全く それに手がつけられなかったという
悲劇も加わってるんです。
それに やっぱりね…
宮崎 それから 小林はね 行く時と帰る時2回 通り過ぎてますから→
ほとんど火事で焼けて…。
そういった物的な被害と→
それから 人的被害は
もう どうしようもないですね。
恐らく 修羅場 地獄絵が 宮崎で
展開されたんじゃないでしょうかね~。
西南戦争… ここの延岡に来るまでに→
西郷たちは どんどん追い詰められてここに来てるわけじゃないですか。
武士なら 本来 負けと認めたら
自決ということだと思うんですけども→
でも 最後まで自決はしなかったですよね。
その点は いかがでしょう?私はね やっぱり あの~→
西郷はね やっぱり 軍人であった
ということですね まず一つはね。軍人?
軍人というのはね 基本的にはね
勝敗がどう転ぶか分からない…
そのきっかけは何か いいましたらね…
実は 世間の人はね…
最近の研究は全然違うんですよ。
むしろね→
公儀政体派といわれて
西郷と大久保に敵対するね→
旧徳川方とも仲良くやっていこうというね
ああいう人たちの方がね→
権力 握ってるんですよ。
徳川慶喜が やっぱり 総理大臣になって公儀政体派の新政権ができた場合→
もう討幕派の居場所は なくなりますよね。
ちょっと ここで… おさらい。
「大河ドラマ」でも
こんなシーンがありました。
政を御一新するというのであれば→
慶喜公も我らと同じ一大名として今すぐ お呼びするのが→
筋というもんであろう! のう?
ちょっと待ちなはれ 容堂はん。
王政復古の大号令のあとに行われた会議で
公儀政体派の諸藩は→
徳川慶喜の復権を強く求めました。
その状況に焦りを覚えた西郷は→
あくまで武力で倒幕を果たすと
手段を選ばない姿勢を鮮明にし始めます。
そげなこつ 短刀一本あれば
事足りっじゃろ。
ほどほどでは いかん。
おいは あん男を地の果てまでも追い詰める。
鬼じゃ…。
兄さぁは 鬼になってしもた。
戦の鬼じゃ!
ああ そうじゃ。おはんも死力を尽くして戦え。
1月3日の夕方から有名な戊辰戦争
鳥羽・伏見戦争が始まるんです。
それは[外:D4F0B6247BBB9102758D1F4A06506C9F]摩藩兵が砲撃したんですよ。
9回の裏の ツーアウト 満塁でね→
一本の逆転満塁ホームランが
出たみたいなもんですよ。
あのね そういうね…
西郷さんは 最後まで 勝てると思って…。
西郷さんって 本当なら どのように
生きたかったって思われますか?
西郷さんは やっぱりですね 非常に…
そういう思いで [外:D4F0B6247BBB9102758D1F4A06506C9F]長の密約から→
そして 王政復古の大号令→
戊辰戦争 廃藩置県→
そして 西南戦争に至ったわけですよね。
でも 西南戦争を振り返ってみると…
じゃあ 西郷さん自身は 民のために
ずっと生きたかったっていう…。
そういう思いをですね
西郷は抱いていたと思うんですよね。
西郷さん自身
本当に命も顧みず そういう人ですよね。
慶應の功臣にして明治の賊臣ともいわれた
西郷隆盛。
光と影を併せ持つ
その不思議な魅力とは?
あの 私ね よく このごろ