2018/12/02(日) 20:00〜20:45 西郷どん(45)「西郷立つ」[解][字][デ]


大山さぁ 大丈夫じゃっで。
おし!
おっ!こいは おいから→
政府にも各県にも
パ~ッち まいてやっで! のう!
ど~んち行ってけえ!
あいがとな 頼もしか!
<鹿児島は 50年ぶりの大雪となりました>

一杯だけじゃ。ああ… ほいなら 今日だけは。
10年ぶりじゃ。
うまかとが。んにゃ… もう味も分からん。
西郷先生!
熊本 宮崎 大分からも我らに同行したかち申し出が→
たくさん来ちょいもす。
ほうか よかよか。
≪(海江田)吉之助さぁ!
おっ 久武様! 俊斎どんも。
(海江田)すまん すまん
遅くなってしもて。
まさか 久武様まで…。


(久武)こん[外:D4F0B6247BBB9102758D1F4A06506C9F]摩一の弓名人を置いていくとは何事か 西郷!
吉之助さぁ
国父様から おはんに言づかってきた。
「あ~ わしは見送りになんぞ 行かん。→
わしに目通りしたかったら…→
必ず帰ってけえ」。
そげん おっしゃっちょった。
国父様…。
(くしゃみ)
(寅太郎)父上を頼んだど。
(西郷ミツ)腹が減ったら帰っておいでな。
ほいなら 行ってくっでの。
父上 お気を付けて。
おはんら 頼んど。
(子どもたち)はい。
(琴)達者で。
(宗介)母上も。
兄さぁ。
宗介も菊次郎も メリケンまで留学した国の宝じゃっでね!
無事に帰さんかったら 承知せんど!
(熊吉)任せてくいやんせ。こん熊吉が命に代えても→
皆さぁを お守りしもす。
(雪篷)おっ 熊吉が泣いちょらん。→
じゃっで雪が降っちょっとか。
はい。
泣いてなど… おられもはん。
(笑い声)
糸 留守を頼んだど。
ご武運をお祈りしちょいもす。
行っど。

♪♪「いきゅんにゃかな」
♪♪「わきゃくとわすれて」
♪♪「いきゅんにゃかな」
♪♪「うたちやうたちゃが」
♪♪「いきぐるしゃ」
<こうして 父 西郷隆盛は→
政府の政を問いただすという大義を掲げ東京へと出発したのです>
川路大警視!
(川路)今 熊本から電信が!
西郷先生が 兵を率い立ち上がられました。
(岩倉)何!?
(従道)兄さぁが?
(山県)そねな…。嘘じゃ!
ないごて…→
ないごてじゃ 吉之助さぁ!(従道)大久保[外:725B24C5997D38268FD2127520E5B3E8]!
おいを鹿児島に行かせてくいやんせ。
おいが兄さぁを止めもす!
すぐに ご命令を!
おいが行く。
おいが 吉之助さぁに会いに行く!
おいが行く。
(岩倉)行ったらあかん! お前が行って
西郷と何するつもりじゃ!?
今更 行ったって
捕まって殺されるだけや!ああっ!
お前は 日本を見捨てるつもりか!?
お前は 国家の要や!
それを忘れんな。
<今宵は ここらでよかろかい>
生きたか者は 降伏してでん生きろ。

死にたか者は 死にやんせ。
一蔵さぁは ないを考えちょっとじゃ?
西郷と そん一党を討ち滅ぼす。日本で最後の戦にするために…。
旦那さぁが
西郷隆盛じゃなかったら→
どんなによかったか。
私学校を設立し 人材育成に尽力した西郷。
明治8年 吉野開墾社を設け→
生徒たちと共に農作業に従事しました。
西郷は 農業を礎とした国づくりを
目指したといいます。
その志は 庄内の地にも芽吹いていました。
戊辰戦争で 最後まで抵抗した庄内藩。
戦後に下された寛大な処置は
西郷の指示であったことを知り→
以降 西郷との交流が始まりました。
養蚕によって国に貢献し賊軍の汚名を晴らそうと→
松ヶ岡開墾事業が始まりました。
西郷が開墾士たちに送った激励の言葉が→
今も受け継がれています。